開発の社会的背景
近年、SDGsの達成が世界的目標となるなか、農業生産においても生産力向上と持続性の両立がますます重要な課題となっています。病害虫防除においては、環境負荷軽減と薬剤抵抗性の発達回避のため、化学合成農薬だけに頼らない技術の開発と普及が求められています。
ハダニは体長0.5mmほどの小さい害虫です。気温が高いと増殖が非常に早く、化学合成農薬(殺ダニ剤)への薬剤抵抗性を発達させやすく、一部の産地では防除効果を補うための追加散布の常態化によるさらなる薬剤抵抗性発達が問題となっていることから、新たなハダニ防除戦略として開発された<w天>防除体系の導入を容易にするため、実践的な作業手順書の作成が求められていました。
研究の経緯
リンゴやナシでは年3回程度の殺ダニ剤散布が慣行的に行われています。農研機構が代表を務める農食事業28022Cコンソーシアムでは、"果樹園に自然に生息する土着のカブリダニ(土着天敵)"と"製剤化されたカブリダニ(天敵製剤)"のそれぞれの長所をうまく活かした経済性と実用性に優れた天敵主体の防除体系「<w天>防除体系」を構築しました。<w天>防除体系では、1)天敵に配慮した病害虫防除薬剤の選択、2)土着天敵の住処となる草生管理、3)補完的な天敵製剤の利用、4)協働的な殺ダニ剤の利用の4つのステップから構成されます(図1)。これまではマニュアルにより<w天>防除体系の技術の紹介と普及に努めてきましたが、より一層の普及を図るために、今回、内容をより実践的な標準作業手順書(SOP)として充実させました。
研究の内容・意義
<w天>防除体系を実際に導入するための説明書であるSOPとして、樹種別に体系導入の手順や留意点を解説するために、それぞれ独立した「リンゴ編」および「ナシ編」を作成し、さらに本編の基礎を理解するための補助資料である「基礎・資料編」を作成しました(図2)。果樹の栽培環境は多様であり、また天敵の利用技術は、樹種や栽培法および園地の環境に大きく依存します。そのため、安定した防除効果を得るためには、それぞれの地域や環境に適合した体系の調整・アレンジが必要となります。本SOPはそのお手伝いができるよう、基礎から応用までに必要な情報を提供します。
- リンゴ編およびナシ編のI章では、<w天>防除体系の基本構造や導入における留意点を解説しています。
- 同編II章では、リンゴおよびナシ栽培への導入のため、<w天>防除体系の構築から個別技術の導入や実践までのノウハウを解説し、モデル体系や導入事例を紹介しています(図3)。
- 「基礎・資料編」のI章では、果樹栽培におけるハダニ被害、そして薬剤抵抗性の発達など現行管理の問題点について詳しく解説しています。
- 同編II章では、カブリダニ類の生態や捕食特性について解説するとともに、果樹で登録がある天敵製剤を紹介しています。
- 同編III章では、<w天>防除体系を構成する個別技術の基礎について解説しています。
- 同編巻末には、カブリダニに対する各種殺虫剤・殺ダニ剤、殺菌剤の影響を網羅したリストや、関連用語の解説、ハダニやカブリダニの調査方法などが掲載されています。
今後の予定・期待
<w天>防除体系は、カブリダニのみならず、広く他の天敵類や受粉を助ける花粉媒介昆虫類の保護にとっても好ましいものであり、その普及は農業生態系における環境や生物多様性の保全につながります。本SOPにより<w天>防除体系の活用が進むことで、さらなるIPM(総合的病害虫管理)5)や環境保全型農業6)の発展が期待されます。
農研機構ではこれからも<w天>防除体系の改良・発展に努め、より使いやすく、そして効率的な病害虫防除をめざし、個別技術の開発をさらに進めます。
用語の解説
- 標準作業手順書(SOP: Standard Operating Procedures)
- 技術の必要性、導入条件、具体的な導入手順、導入例、効果等を記載した手順書。農研機構は重要な技術についてSOPを作成し、社会実装(普及)を進める指針としています。
- 殺ダニ剤
- ダニ類防除を目的とした専用の薬剤(農薬)。ここでは特に化学合成剤を指します。
- 薬剤抵抗性
- 薬剤(農薬)に対する虫の耐性。
- カブリダニ
- ハダニ類の主要な天敵。体長0.4mmほどで、国内では90種以上が知られています。
- IPM(総合的病害虫管理)
- 利用可能な全ての防除手段を、経済性、人や環境へのリスクなど、多角的な観点から評価し適切に組み合わせることにより防除しようという有害生物の管理概念。
- 環境保全型農業
- 農業の持つ物質循環機能を生かし、生産性との調和などに留意しつつ、土づくり等を通じて化学肥料、農薬の使用等による環境負荷の軽減に配慮した持続的な農業。
参考図