開発の社会的背景
害虫からの被害を抑える手法として、レ―ザーを含む光や音、振動などを扱う物理的な技術に注目が集まりつつあります。合成した超音波をヤガ類などの防除に役立てようとする試みは、1960年代からアメリカを中心に検討されていました。日本においても、モモなどの果実に吸汁被害をもたらす吸蛾類(トモエガ科のエグリバ類など)の成虫を寄せつけない音響技術が開発されています。しかし、一般のスピーカは、超音波の伝播する方向が直線的であり、大気中での減衰が大きいため、ほ場全体を超音波でカバーするには多数のスピーカを設置する必要があり、実用化には至っていませんでした。
研究の経緯
夜行性である大部分の蛾類の天敵であるコウモリは超音波を発し、障害物やエサとなる虫の位置をそのエコー(反射される音)から高精度に捉えています。これに対し、超音波を感知可能な鼓膜器官からなる耳を持つヤガ類(図1 )は、コウモリから食べられまいと、コウモリの発する超音波から離れるよう逃げ出したり、じっとしたりします。蛾類による農業被害の大部分は、ほ場に飛んできたメスが産卵し、卵からふ化した幼虫が食害することによります。そのため、交尾を終えたメスの蛾の飛来を防ぐことは、農作物の被害を抑えることに直結します。そこで、コウモリの超音波をヤガ類が避ける行動を活用し、合成した超音波をほ場の外側に向けて照射する超音波発信装置(図2A・B )を開発しました。
研究の内容・意義
重要な農業害虫であるハスモンヨトウ、シロイチモジヨトウ、ツマジロクサヨトウの飛翔行動を高い割合で阻害する超音波の音響パラメータを特定しました。これら害虫3種は、パルス長がおよそ5ミリ秒、1秒あたりのパルス数(反復率)が10となる超音波を共通して忌避することを突き止めました。
蛾類害虫が忌避するパルス状の超音波を水平方向360度、上下方向20度に照射可能な超音波発信装置を開発しました(図2 )。有効範囲は半径が25m程度の円であり、2500m2 のほ場であれば、スピーカの設置台数は最少4台でカバーできます。
イチゴの栽培施設(土耕促成栽培)の資材(パイプ)から超音波スピーカを吊り下げ(図2C )、施設内に産みつけられたハスモンヨトウの卵塊数を超音波無照射の条件と比較しました。パルス状の超音波を照射することで、ハスモンヨトウの卵塊数(確認された卵塊の総数を調査期間で割った数)を最大で95%以上、減少させることができました(図3A )。
長ネギの露地ほ場の四隅から超音波パルスを照射したところ(図2D )、シロイチモジヨトウの卵塊数を、超音波無照射のほ場と比べ、68%減らせることができました。
葉ネギの露地ほ場では、シロイチモジヨトウの幼虫数・被害株数(確認された幼虫・被害株の総数を調査株数で割った数)をそれぞれ90%以上、減少させることができました(図3B )。これにより、シロイチモジヨトウに対して施用する殺虫剤の散布回数は、超音波無照射のほ場よりも89%少なくなりました。
今後の予定・期待
持続可能な食料システムの構築に向けて農林水産省により策定された「みどりの食料システム戦略」では、2050年までにリスク換算で化学農薬使用量を50%低減することが目標の一つとなっています。また、気候変動にともなう温暖化と連動し、害虫の突発的な大発生と大移動が予測されていることもあり、環境保全と両立する害虫防除技術の開発が求められています。本研究で確立したヤガ類の物理的防除技術は、開発した超音波発信装置の設置により再現可能であり、殺虫剤のみに依存しない農業生産体系の構築に貢献します。本技術の発展・活用により、有機栽培の促進に寄与することも期待されます。
果菜類や果樹など、果実に被害をもたらす蛾類(オオタバコガや果樹の吸蛾類など)を対象にほ場での実証試験を開始しています。将来的には、ICT技術などとの連携を視野に入れ、装置の導入だけで蛾類害虫を自動的に防除できる仕組みづくりを目指しています。
用語の解説
ヤガ(夜蛾)類
ヤガ科に分類されるチョウ目(蛾類)の1グループで、日本にはおよそ800種が分布します。この中には、農業害虫であるヨトウガ類、タバコガ類、キンウワバ類などが含まれます。漢字に表されるように、夜に活発に動きます。[ポイントへ戻る]
ハスモンヨトウ
アジア地域における重要害虫で、幼虫がダイズ、キャベツ、トマト、イチゴ、キクなどを中心に、広く野菜、豆類、花き、果樹を食害します。成虫は体長がおよそ15~20mmで、毛で覆われた数百の卵をまとめて産みつけます。中国大陸から成虫が毎年飛来することにより、広範囲で被害が発生します。また、殺虫剤の種類によっては抵抗性が発達しているため、農薬による防除が難しい場合があります。[概要へ戻る]
シロイチモジヨトウ
西日本を中心に多発傾向があり、ネギ、キャベツなどのアブラナ科野菜、キクなどの花き類、ナスなどの果菜類を幼虫が食害します。成虫は体長がおよそ12~15mmで、毛で覆われた数百の卵をまとめて産みつけます。また、殺虫剤の種類によっては抵抗性が発達しています。[概要へ戻る]
ツマジロクサヨトウ
南北アメリカが原産の世界的な大害虫で、主にトウモロコシ、ソルガム、サトウキビを幼虫が食害します。日本では2019年に初めて確認され、長距離を飛翔するため、全国で確認されています。日本では、飼料用トウモロコシおよびソルガムを中心に被害が確認されており、生育初期に加害されると被害が大きくなります。成虫は体長がおよそ15~17mmで、毛で覆われた数百の卵をまとめて産みつけます。[概要へ戻る]
音響パラメータ
ここでは大気中を伝播する音波の特徴を表し、構成される周波数(波の振動数)、音圧(音の大きさ)、時間構造[パルス(音の塊)の持続時間とその反復率(1秒あたりのパルス数)]を指します。[概要へ戻る]
発表論文
Ryo Nakano, Akio Ito, Susumu Tokumaru (2022) Sustainable pest control inspired by prey-predator ultrasound interactions. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America (米国科学アカデミー紀要) 119(43) e2211007119. doi: 10.1073/pnas.2211007119
参考図
図1 ハスモンヨトウの耳(鼓膜器官)の位置
後ろ翅の付け根付近(黒丸部)に左右一対の鼓膜を持ちます。左上の画像は鼓膜の拡大図(走査型電子顕微鏡画像)です。
図2 開発した超音波発信装置
A : 信号発生器と信号増幅器を含む装置本体。B : 円柱型の超音波スピーカ。C : イチゴの栽培施設に設置した超音波スピーカ(矢印部;左図)と上から見た配置図(右図)。超音波スピーカの周囲の薄い青色は、防除に有効な超音波の射程距離を表します。D : 長ネギの露地ほ場の四隅に設置した超音波スピーカ(左図)と上から見た配置図(右図)。
図3 栽培ほ場での合成超音波パルスによる防除効果
A : イチゴの栽培施設におけるハスモンヨトウの卵塊数。調査年度の異なる同一ほ場(2016~2018年度)において、超音波の照射により卵塊数は低く推移しました(図中「超音波あり」のオレンジ(2017年度)と緑(2018年度)のシンボル)。(注:その年の卵塊数は、調査年度で異なるハスモンヨトウの発生量に比例することが想定されます。そこで、調査期間中に調査ほ場の近隣に設置したフェロモントラップへのハスモンヨトウのオス成虫の捕獲数をその地域・年の発生量とみなしました。その年の捕獲数あたりの卵塊数を算出した場合でも、図3Aと同様に、超音波を照射した2017年度および2018年度の卵塊数は2016年度と比べて顕著に少なくなりました。) B : 露地ほ場におけるシロイチモジヨトウによる葉ネギの被害株率。同一の調査年度(2019年度)で近隣の異なるほ場(超音波なしのほ場は反復として2地点)において、超音波の照射により卵塊数および幼虫数が減り、結果的に被害株数を低く抑えることができました。