プレスリリース
(研究成果) 餌探しを「すぐにあきらめない」天敵昆虫を育成

- 「みどりの食料システム戦略」推進への貢献に期待 -

情報公開日:2024年1月17日 (水曜日)

ポイント

農研機構は、ナスの重要害虫アザミウマ類1)の天敵として利用されているタイリクヒメハナカメムシ2)を対象に、長い時間にわたって害虫を粘り強く探索して捕食する、すなわち「すぐにあきらめない」性質を有する系統を選抜・育成することで、防除効果を高められることを明らかにしました。本成果は今後、これまで天敵利用が難しかった作物や栽培環境など多くの場面で有効な天敵の選抜・育成に応用され、「みどりの食料システム戦略」の推進に貢献することが期待されます。

概要

世界の農作物の総生産のうち、およそ16%が害虫などの有害動物によって損失するとされています。現在の害虫防除は化学農薬が主体ですが、新剤開発にはコストと時間がかかります。また、薬剤の多用により抵抗性が発達し、化学農薬による防除が困難な害虫もいます。この状況を打開するため、化学農薬のみに依存しない画期的な害虫防除技術の開発が試みられており、その1つが天敵を用いた生物的防除法です。天敵を利用した防除技術として、現在、複数種の害虫をたくさん食べ、害虫密度が低くても粘り強く探索し、低温条件など天敵の活動に適さない環境下でも働く天敵の開発が進められています。

このたび農研機構は、重要害虫アザミウマ類をはじめ様々な微小害虫を捕食する天敵であるタイリクヒメハナカメムシを対象に、害虫を長い時間にわたって粘り強く探索する性質を有する系統を選抜・育成することにより、餌となる害虫の発生が低密度の環境下でもよく働き、害虫の防除効果を高められることを明らかにしました。

この「すぐにあきらめない」系統は、歩行活動量を指標に「集中型」の餌探索を長く行う個体を選抜(遺伝子組み換えとは異なる手法)することによって育成されたものです。本系統は、改良していない系統に比べて作物上の害虫密度が低い状況でも長く作物上に定着し、高い害虫防除効果を発揮します。今後、「すぐにあきらめない」性質に関連する遺伝子を特定することでマーカー育種3)等ができるようになり、タイリクヒメハナカメムシ以外の天敵についても定着性をさらに向上させ、防除効果が持続する系統を育成することが可能になります。

今後は定着性の向上とともに、難防除害虫をたくさん食べることや低温条件での活動性など他の機能も強化した天敵を育成し、これまで天敵の利用が難しかった作物や栽培環境など多くの場面で活用されることにより、化学農薬のみに依存しない害虫被害ゼロ農業の実現に貢献することが期待されます。

関連情報

予算 :

  • ムーンショット型農林水産研究開発事業「先端的な物理手法と未利用の生物機能を駆使した害虫被害ゼロ農業の実現」JPJ009237
  • 科学研究費助成事業「『あきらめが悪い』天敵の生物的防除における有効性の評価」JP19K06063

特許 : 特許第6346407号、特許第6596118号

問い合わせ先など
研究推進責任者 :
農研機構 植物防疫研究部門 所長大藤 泰雄
研究担当者 :
同 作物病害虫防除研究領域 上級研究員世古 智一
広報担当者 :
同 研究推進室 渉外チーム長松下 陽介

詳細情報

開発の社会的背景

世界の農作物の総生産のうち、およそ16%が害虫などの有害動物によって損失するとされています。現在の害虫防除は化学農薬が主体ですが、新剤開発にはコストと時間がかかるうえ、抵抗性の発達により化学農薬による防除が困難な害虫も出現するため、新剤開発と抵抗性発達の「いたちごっこ」が続いています。この状況を打開するため、化学農薬のみに依存しない画期的な害虫防除技術の開発が求められています。捕食性や寄生性の天敵を利用する生物的防除法は、化学農薬を利用する化学的防除法に替わる技術の1つですが、天敵は化学農薬に比べて使い方(放飼するタイミングなど)が難しく、活用可能な作物とその栽培環境が限られています。それを解決するためには、複数種の害虫をたくさん食べ、餌低密度条件や低温条件など天敵の活動に適さない環境下でも働く天敵が必要です。

そのためには、まず餌となる害虫の数が少ない条件では天敵が栽培ほ場への定着に失敗しやすいという課題を解決する必要があります。栽培ほ場内に放された天敵は、餌をうまく発見し続けることができれば、栽培ほ場内に留まって捕食または寄生を続ける「定着」状態になり、害虫密度を低く抑え続けることができるようになります。害虫が増えてから作物上に天敵を放すと、害虫が減る速さより増殖する速さが勝ってしまって手遅れになることがあるため、害虫密度の低い発生初期に放す必要があります。一方、発生初期は天敵にとって餌が少ない状況であり、天敵は餓死または作物上から逃亡することにより定着に失敗し、防除効果が得られないことがあります。様々な害虫をよく食べる等、いかに生物的防除に有望な天敵であっても、定着しなければその機能は発揮されず害虫防除に失敗します。このように、生産者にとって天敵をいつ放せばいいのかを判断するのは難しく、それが多くの天敵に共通する課題となっています。

研究の経緯

現在、ムーンショット型農林水産研究開発事業(課題名:先端的な物理手法と未利用の生物機能を駆使した害虫被害ゼロ農業の実現)において、「オールマイティ天敵作出のための分子基盤の解明と制御技術の開発」が実施され、上記の課題を解決するための取組が行われています。その中で農研機構は、放した天敵が栽培ほ場への定着に失敗する原因の1つとして、昆虫などの節足動物にみられる「餌の探索行動の切替4)」という現象に注目しました。多くの場合、害虫は栽培ほ場内のどの作物株にもいるのではなく、いくつかの株上に点在しています(それを「餌場」5)と呼びます)。天敵は害虫が少ない餌場からはすぐに去って、別の餌場に移動します。その際に餌場内で害虫とよく遭遇する時はゆっくりと非直線的に歩く「集中型」の探索を行うのに対し、害虫に遭遇する機会が少ないと直線的に素早く移動する「広域型」の探索を行う、すなわち餌の探索行動の切替が多くの天敵で観察されています。つまり、害虫密度が低い栽培ほ場では、放された天敵はすぐに集中型から広域型に探索行動を切替え、餌場間を移動しても餌が見つからない場合は作物上から飛び去ってビニールハウスの壁にある隙間に挟まって抜け出せなくなったり、あるいは餌場間を頻繁に行き来することによって消耗し、飢餓状態に陥って死亡するのではないかと予測しました(図1)。

さらに我々は、害虫が少ないとすぐに探索行動を切り替えて餌場を去る天敵よりも、すぐには去らずにその場でしばらく探索を継続する天敵の方が、害虫が発生初期の栽培ほ場での定着性に優れ、防除に貢献するのではないかと考えました。いくつかの寄生性天敵や捕食性天敵では集団間または集団内において、探索行動を切り替えるまでの時間に遺伝的な変異があることが知られていたので、探索をあきらめて餌場を去るまでの時間(以下、あきらめ時間6))が長い、すなわち「すぐにあきらめない」系統を育成できると考えました。

図1栽培ほ場内に放した天敵昆虫の探索行動と定着の関係性(仮説)

害虫は栽培ほ場内のどの作物株にもいるのではなく、いくつかの株上に点在している(緑色が濃い株は、害虫数が多い)。四角は栽培ほ場、丸は作物株で、その中の線は天敵が害虫を探索している軌跡をイメージしたもの。

研究の内容・意義

  • 重要害虫アザミウマ類をはじめ様々な微小害虫を捕食する天敵であるタイリクヒメハナカメムシを対象に、餌となる害虫の密度が低くても長い時間にわたって粘り強く探索する「すぐにあきらめない」性質を有する系統を育種で選抜・育成することにより、餌低密度条件という天敵の活動に適さない環境でもよく働き、害虫の防除効果を高められることを明らかにしました。
  • 「すぐにあきらめない」系統を育成するため、まず多数の個体の中からあきらめ時間が長い個体を選抜しました。すぐにあきらめない=「集中型」の探索を長く行う個体はゆっくりと非直線的に歩行するため、一定時間あたりの歩行活動量が低い傾向にあります。そこで歩行活動量を選抜の指標とし、歩行活動量の低い個体を全体の30%ずつ選抜し、交配させる作業を世代ごとに行いました(図2)。
  • 選抜によって得られたあきらめ時間が長い個体は、あきらめ時間が短い個体に比べて、ゆっくりと非直線的に歩行しており、「集中型」の探索行動の特徴が確認されました(図3)。
  • 40世代以上選抜を繰り返した結果、歩行活動量の低い系統を育成できました(以下、選抜系統)。その系統のあきらめ時間は、選抜を行わずに維持している系統(以下、非選抜系統)に比べて2~3倍長くなっていました(図4)。
  • ビニールハウス内のナス栽培ほ場に放したところ、選抜系統は非選抜系統に比べて長くナス上に留まり、害虫であるアザミウマの増加を抑制しました(図5)。
  • 本研究により、「害虫密度がまだ低い発生初期は(天敵が)定着しにくい」、「放すタイミングが難しい」という、多くの天敵に共通していた課題を解決できることが示されました。タイリクヒメハナカメムシだけでなく、他の天敵においても定着性の改良が飛躍的に進むことが期待されます。
図2人為選抜によるタイリクヒメハナカメムシ雌成虫の歩行活動量の変化

選抜系統は世代ごとに、歩行活動量が低い個体を全体の30%選抜して得られた系統。非選抜系統は、選抜を行わずに維持している系統。歩行活動量はショウジョウバエ用生体リズム測定装置を使って測定。タイリクヒメハナカメムシがガラスチューブの中を歩き回ることで装置のセンサーを横切り、それを感知した回数が歩行活動量として測定される。歩行活動量が少ないことは、害虫を長い時間にわたって粘り強く探索する性質を持つことを意味している。

図3 あきらめ時間が短い個体と長い個体の歩行活動の比較

タイリクヒメハナカメムシ成虫がアザミウマ成虫1頭を捕食した後、ガラスチューブを抜け出してエリア(白い部分)の外に出るまでの歩行活動の軌跡。左図はあきらめ時間が短い個体、右図はあきらめ時間が長い個体の例。あきらめ時間が短い個体は直線的に歩行してすぐにエリア外に到達しているのに対し、あきらめ時間が長い個体はガラスチューブ内を何度も往復し、ガラスチューブを抜け出した後も非直線的に歩行している。

図4タイリクヒメハナカメムシ雌成虫における各系統のあきらめ時間

S1, S2, S3は選抜系統、W1, W2は非選抜系統。選抜系統は非選抜系統に比べて、あきらめ時間(箱型のグラフ内の横線が代表値)が2~3倍長くなっている。

図5タイリクヒメハナカメムシの定着数およびアザミウマに対する防除効果

タイリクヒメハナカメムシの選抜系統および非選抜系統を放した施設ナスほ場における、タイリクヒメハナカメムシ成虫の定着数(上図)およびアザミウマ発生数(下図)の推移。タイリクヒメハナカメムシについては、ビニールハウス内に植えたナス42株のうち、中央付近の2株上に42頭ずつ放し、その3日後から株あたりの頭数を調査した。

今後の予定・期待

本研究によって育成した選抜系統は、改良していない系統に比べて作物上の害虫密度が低い状況でも長く作物上に定着し、高い害虫防除効果を発揮することが確認されました。現在、この選抜系統を分析し、「すぐにあきらめない」性質をもたらす関連遺伝子を解明しているところです。関連遺伝子が特定されれば、マーカー育種等のより高度な育種技術を適用できるようになり、定着性をさらに向上させ、防除効果が持続する系統を育成することが可能になります。

今後は定着性の向上とともに、難防除害虫をたくさん食べることや低温条件での活動性など他の機能も強化した天敵系統が育成され、これまで天敵の利用が難しかった作物や栽培環境など多くの場面で活用されることにより、化学農薬のみに依存しない害虫被害ゼロ農業を実現し、「みどりの食料システム戦略」が掲げる化学農薬使用量(リスク換算)の低減や有機農業の取組面積の拡大、および農研機構が目標として掲げる「生産性向上と環境保全の両立」にも貢献することが期待されます。

用語の解説

アザミウマ類
アザミウマ目に属し、体長1~2mmほどの細い体型の昆虫です。ひとたび多発すると多くの野菜、花き、果樹などを吸汁・加害し、ウイルス病を媒介することで作物に被害を及ぼす農業害虫です。化学農薬に対して抵抗性を発達させやすい特徴があります。
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タイリクヒメハナカメムシ
ハナカメムシ科に属する体長2mmほどの昆虫で、害虫であるアザミウマ類を食べる有力な天敵です。国内での土着種であり、2001年に生物農薬として登録され、ピーマンやナスなどで使用されています。一方で、害虫の発生初期に放すとうまく定着しないことがあり、課題となっていました。
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マーカー育種
目的となる有用遺伝子付近の DNA 配列を育種の際に目印(マーカー)として利用する育種法です。目的の遺伝子を持っているかどうかを判別することで優良な個体を選抜する方法で、遺伝子組換えとは異なる技術です。イネ、ダイズ、果樹、野菜、家畜などにおいて、研究開発が進められています。
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餌の探索行動の切替
テントウムシなど複数の天敵昆虫において、餌となる害虫がたくさんいると、ゆっくり何度も方向を変えて歩行する傾向があります。これは集中型の探索と言われています。一方、害虫がいなくなると次第に直線的に素早く移動する広域型の探索を行います。餌探索の環境レベルは、餌である被食者、餌場、生息地に分類され、餌場内における集中型の探索→餌場間の広域型の探索→他の生息地への分散、の順に探索範囲が変化すると考えられています。
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餌場
生態学ではパッチと呼ばれ、生息場所の単位を意味する概念です。動物が生息する場所の中には、餌のある場所は点在している事が多く、動物はその餌場内、餌場間を移動して探索します。栽培ほ場では、発生初期の害虫はどの作物株にも均一に生息しているのではなく、いくつかの株上に点在して生息している状態にあり、それを「餌場」と定義しています。
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あきらめ時間
生態学において、動物が餌場で最後に餌を獲得してから、その餌場での探索をあきらめて立ち去るまでの時間を、「あきらめ時間」(GUT: giving up time)と呼んでいます。動物がいかに効率的に餌を見つけて捕獲できるのかは、自身の生存や繁殖に直結する課題です。そのため、ある餌場でどれだけの時間を探索に費やし、いつその餌場を去って別の餌場に移るのが効率的なのか、どのような行動が進化しうるのかが議論されています。
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発表論文

T. Seko and K. Miura (2023) Extension of patch residence time of a biocontrol agent by selective breeding contributes to its early establishment and suppression of a pest population. Journal of Pest Science.
Published: 03 October 2023
DOI: https://doi.org/10.1007/s10340-023-01696-4