プレスリリース
(研究成果) 野菜の発酵過程における成分変化をNMRでそのまま評価することに成功

- 多様な農産物や食品中成分の非破壊分析への応用に期待 -

情報公開日:2024年10月30日 (水曜日)

ポイント

農研機構は、NMR(核磁気共鳴)1)装置やMRI(磁気共鳴イメージング)2)装置を用いて、農産物や食品中の成分分析や画像診断を行っています。今回、NMR装置において、発酵食品中の成分を抽出せずにそのままの状態で直接分析が可能なNMR計測(インタクトNMR)3)法を確立しました。その結果、野菜の発酵過程における成分変化を非破壊で捉えることに成功しました。本技術は、様々な農産物や食品に適用できます。また、これまで計測できなかった成分情報の発掘が可能となり、新たな食品の品質評価法の開発が加速されることが期待されます。

概要

農研機構では、NMRをはじめ、様々な分析装置を用いて農産物や食品の多角的な評価を行っています(https://www.naro.go.jp/laboratory/naac/video/index.html)。また、高性能NMRリモート共用システムの運用を開始しており、遠隔地からでもNMRを使って農産物や食品中の成分同定および化学構造解析を行うことが可能となっています(https://www.youtube.com/watch?v=RzjNN-O7OSo)。

一般的に、農産物や食品中の成分を分析する場合、成分の抽出や精製を行う必要があります。しかし、これらの調製作業には手間やコストがかかり熟練した技術が必要です。NMR計測中にサンプルローターを高速回転させるHR-MAS(高分解能マジックアングルスピニング)4)を併用する方法を用いることで、成分の抽出や精製といった調製作業が不要となりますが、別途装置が必要になり、また食品によっては細胞組織や構造の損傷リスクがあります。そのため、農産物や食品中の成分を完全に非破壊分析することはできませんでした。一方で、NMR装置と同様の計測原理を利用するMRI装置は非破壊的に農産物や食品の画像診断を行うことはできますが、成分の分析を行うことには不向きでした。今回開発したインタクトNMR計測法では、発酵食品を成分抽出等の調製で破壊することなく、NMR計測用試験管にそのままの状態で詰め、従来の溶液NMR計測と同等の解析結果を得ることができました。その結果、非破壊で発酵野菜中成分の同定と発酵過程における成分変化の評価が可能となりました(図1)。

今後、本研究で開発したインタクトNMR計測法を様々な農産物や食品に適用することで、試料調製が不要で簡便な成分分析が可能となります。また、農産物や食品を非破壊で計測できるため、これまで見落とされていた生命現象や成分情報の発掘が可能となり、新たな食品の品質評価法の開発が加速されることが期待できます。

図1 発酵野菜のインタクトNMR計測の概略
野菜の発酵実験において回収した試料を、溶媒で成分を抽出することなく、そのままの状態でNMR計測用試験管に挿入し、細胞や組織などの空間的に不均一な試料を高速回転させることで高分解能スペクトルを取得するHR-MASを併用せずに計測しました(上)。従来のNMR計測法では発酵過程におけるNMRスペクトルの変化が見られませんでしたが(左)、今回開発したインタクトNMR計測法では、発酵が進む過程をNMRスペクトルから詳細に確認できました(右)。

関連情報

予算 : 運営交付金

問い合わせ先など
研究推進責任者 :
農研機構 理事 兼 基盤技術研究本部 本部長中川路 哲男
同 基盤技術研究本部 農業情報研究センター センター長村上 則幸
高度分析研究センター センター長山崎 俊正
研究担当者 :
農業情報研究センター 研究員伊藤 研悟
高度分析研究センター 上級研究員関山 恭代
広報担当者 :
研究推進室 室長西川 智太郎

詳細情報

開発の社会的背景と研究の経緯

食品中の成分は、NMR装置や質量分析装置といった分析装置により評価することができます。しかし、これらの装置を用いた分析では、食品から評価したい成分の抽出を行う必要があるため、食品中の成分を包括的かつ非破壊的に検出することは困難です。また、検出される成分は抽出溶媒の極性や抽出工程に依存するなどの欠点もあります。NMRでは原理上、成分抽出を行わずに食品をそのままの状態でも分析することは可能です。しかし、サンプル組織間で磁化率の異なりがあることから局所磁場が不均一となるため、各成分に由来するNMR信号ピーク幅がスペクトル全体にわたって幅広化することが問題となり、得られるNMRスペクトルからどの様な成分が含まれているかを特定することが困難です。この問題を解消する方法としてHR-MASを併用する分析法が知られていますが、計測中にサンプルローターを高速回転させる必要があるため、食品によっては細胞組織や構造の損傷リスクがあり、完全に非破壊的な分析ができるとは言えないのが現状でした。

近年、HR-MASを使用しなくても不均一磁場の影響を抑制して高分解NMRスペクトルを取得することが可能となる計測法が発見されました。この計測法は、試料に照射するラジオ波パルスの種類やタイミング等を調整することで、不均一磁場の影響によるNMR信号の幅広化を抑制します。そこで本研究では、この計測を応用した食品計測用のNMRパルスプログラム5)を開発し、一例として日本の伝統的な発酵食品である「ぬか漬け」野菜の発酵過程における成分の変化を包括的かつ非破壊的に解析しました。

研究の内容・意義

  • 野菜の発酵実験とインタクトNMR計測用サンプルの調製
    発酵実験用の米ぬか床は米ぬか、塩、純水を混ぜ合わせて調製し、100mLのガラス瓶に入れました。発酵を早く進めるため、生のニンジンとキュウリを約0.5cm角の断片になるように切り刻み、米ぬか床との重量比が9:1になるように100mLのガラス瓶内で混合し、25°Cの暗所で1日に1回攪拌しながら最大1週間培養しました。米ぬかに漬けた野菜は実験開始から3日目と7日目に回収し、野菜に付着している米ぬかを純水で洗い流し、そのままの状態でNMR計測用試料管に挿入しました。また、発酵過程0日目の生のニンジン及びキュウリは直径5mmのコルクボーラーで円筒状にくり抜き、内径5mmのNMR計測用試料管に高さ約5cmまで挿入しました(図2)。
    図2 発酵野菜のインタクトNMR計測用サンプル調製の流れ
  • 従来のNMR計測法との比較
    野菜には多量の水分が含まれるため、従来のNMR計測法では水分子由来のNMR信号が非常に強く検出されてしまい、他の成分由来のNMR信号はほとんど検出されませんでした。そのため、従来のNMR計測法で水分子由来のNMR信号を抑制する方法を使用し、他の成分由来のNMR信号を検出することにしました。このNMR計測法で得られたNMRスペクトルでは、NMR信号のピーク幅は広いものの、発酵実験0日目では糖類由来のNMR信号の存在を確認でき、発酵実験3日目と7日目にアミノ酸または有機酸由来のNMR信号を確認することができました。しかし、含まれる糖やアミノ酸等の種類や、幅広化によってオーバーラップした信号領域に埋もれた他の成分情報の有無等を判断することは困難です。本研究で開発したインタクトNMR計測法では、これらの成分由来のNMR信号が詳細に分離されたNMRスペクトルを得ることができました。例えば、発酵実験3日目のニンジンのNMRスペクトルの約2ppmに検出されたNMR信号のピーク幅は、従来法で得られたNMRスペクトルでは約37Hzであったのに対し、本研究で開発したインタクトNMR計測法で得られたNMRスペクトルでは約11Hzであり、約3倍鋭いNMR信号が得られました。また、発酵実験0日目のキュウリのNMRスペクトルにおいて、3~4ppmに検出される糖類由来のNMR信号は、従来法で得られたNMRスペクトルでは1つの大きなNMR信号として検出されましたが、本研究で開発したインタクトNMR計測法で得られたNMRスペクトルでは10を超えるNMR信号に分離できました。以上の様に、従来法で得られるNMRスペクトルでは、各成分由来のNMR信号が幅広化しオーバーラップしてしまうために成分の同定が困難でしたが、本研究で開発したインタクトNMR計測法で取得したNMRスペクトルは各成分由来のNMR信号が先鋭化・分離できるため、詳細な成分同定が可能となりました (図3)。
    図3 従来法および開発した計測法で取得したNMRスペクトルの比較
    緑:従来のNMR計測法、赤:従来のNMR計測法で水分子由来のNMR信号を抑制する方法、青:本研究で開発したインタクトNMR計測法で取得したNMRスペクトル
  • 野菜の発酵過程における成分変化の追跡
    ニンジンのNMRスペクトルでは、糖類、有機酸、アミノ酸など15成分が同定されました。GABA、アラニン、アスパラギン、フルクトース、グルコース、グルタミン、ロイシン、リンゴ酸、およびスクロース由来のNMR信号は、発酵実験0日目に顕著に検出されましたが、発酵実験3日目以降はほとんど検出されませんでした。対照的に、酢酸、乳酸、および未知成分由来のNMR信号は、発酵実験3日目と7日目に顕著に検出されましたが、発酵実験0日目ではほとんど検出されませんでした(表1)。キュウリのNMRスペクトルでは、糖類、有機酸、アミノ酸など14成分が同定されました。フルクトース、グルコース、グルタミン、リンゴ酸由来のNMR信号は、発酵実験0日目に顕著に検出されましたが、発酵実験3日目以降はほとんど検出されませんでした。対照的に、酢酸、酪酸、コハク酸、および未知成分由来のNMR信号は、発酵実験3日目と7日目に顕著に検出されましたが、発酵実験0日目ではほとんど検出されませんでした(表2)。また、ニンジンとキュウリのいずれにおいても発酵実験3日目と7日目に顕著に検出されたNMR信号について、未知成分の部分構造を同定することができました。これらのことから、インタクトNMR計測で得られるNMRスペクトルからでも成分の特定が可能であり、そのNMR信号の変化から、微生物の糖代謝および乳酸発酵が行われたことが確認できました。さらに、抽出物ではなく、ありのままの状態のサンプル中の成分由来のNMR信号を検出しているため、より実態に近い評価が可能となりました。
    表1 発酵過程におけるニンジンのNMR信号強度の変化

    * 各セル内の数値はNMR信号強度[a.u]を示す

    表2 発酵過程におけるキュウリのNMR信号強度の変化

    * 各セル内の数値はNMR信号強度[a.u]を示す

今後の予定・期待

今回開発したインタクトNMR計測法により、未処理または発酵させたキュウリおよびニンジンについて非破壊で成分分析することが可能となりました。また、本計測法はHR-MASを併用するための特殊な装置を別途用意する必要がなく、一般的なNMR装置にパルスプログラムを導入するのみで分析が可能です。本計測法では、これらの野菜以外の農産物や食品においても、同様に非破壊的に成分分析および評価を行うことが可能であると考えられます。本計測法の応用例として、農産物においては品種や栽培環境の違いによる栄養成分変化、加工食品においては加工工程における成分変化、環境資源においては環境要因がもたらす影響等が評価できると考えられます(図4)。そして、従来の計測法では見落とされていた生命現象や成分情報の発掘が可能となり、新たな食品や食品評価法の開発が加速化されることが期待できます。

今後は、多様な農産物や食品への適用可能性について検証を進めるとともに、NMR信号検出感度の向上やNMR計測時間の短縮など、さらに実用性および利便性が高くなるようにインタクトNMR計測用のパルスプログラムの改良および開発を行っていく予定です。また、インタクトNMR計測法から得られた新たなデータをその他の分析・観測データと紐づけて農研機構統合データベースに蓄積するとともに複合的にデータ解析を行うことで、新たな価値を生み出すことに繋がることが期待されます。

図4 期待されるインタクトNMR計測の応用例

用語の解説

NMR(核磁気共鳴)
巨大で強力な磁石の中に計測したい試料を入れ、その試料に含まれる分子を構成する原子にパルス(電磁波)を照射したときの原子の振る舞い(共鳴現象)を観測する分析です。この原子の振る舞いは分子の化学構造や化学的環境によって変わります。一般的に、粉末試料を重水素化された成分抽出溶媒に溶かして内径5mmのNMR計測用試料管に注入したものを溶液NMR計測し、分子の種類や量、化学構造、運動性を調べることに使用しています。[ポイントへ戻る]
MRI(磁気共鳴イメージング)
基本原理はNMRと同様ですが、溶液NMRが計測対象の抽出物を調べるのに対し、MRIは計測対象の内部状態を非破壊的に調べることに特化しています。また、NMRはそれぞれの分子の化学的特性をスペクトルから評価することに利用されていますが、MRIは含まれる分子を構成する原子(主に水素核)の総合的な量や運動性についての空間的な情報を画像化して評価することに利用されています。[ポイントへ戻る]
インタクトNMR計測
インタクトとは「無傷の」、「元のままの」といった意味を持ち、MRI計測の様に計測対象を非破壊的にNMR計測することをインタクトNMR計測と言います。しかし、計測対象の空間的な不均一性が起因して得られるNMRスペクトルが幅広化してしまうため、分子の種類や化学構造の評価が困難となるといった問題があります。そのため、HR-MASを使用するなどをして、この不均一性を解消してNMR計測を行う必要があります。[ポイントへ戻る]
HR-MAS(高分解能マジックアングルスピニング)
NMR計測用試料管をNMR装置の鉛直方向に対して54.7度(マジックアングル)に傾け、さらにNMR計測用試料管を高速回転(4000~16000Hz)させることで、不均一な試料に含まれる分子の異方性を時間平均化することができます。そのため、細胞や組織などの空間的に不均一な試料をそのままの状態で計測し、高分解能スペクトルを取得することが可能となります。[概要へ戻る]
パルスプログラム
NMRやMRI計測を行うためのコンピュータプログラムで、装置によって文法は異なりますが、試料に照射するラジオ波パルスの種類、強さ、長さ、タイミング、NMR信号の取り込み方法、それらの計測パラメータの説明等々が記載されています。また、ここで記載された計測パラメータは、計測用ソフトウェアのGUI上で値の設定が可能です。異なった計測法が記載されたパルスプログラムを使うことで、溶媒由来のNMR信号の消去、NMR信号の選択的検出、分子内外原子の相関NMR信号の検出、NMRスペクトルの多次元化等々の目的に沿った多様な計測を行うことができます。[開発の社会的背景と研究の経緯へ戻る]

発表論文

K. Ito, R. Yamamoto, Y. Sekiyama, Tracking Metabolite Variations during the Degradation of Vegetables in Rice Bran Bed with Intact-State Nuclear Magnetic Resonance Spectroscopy. Metabolites 14(7), 391 (2024).
https://www.mdpi.com/2218-1989/14/7/391