研究の社会的背景と経緯
地球規模で進行する気候変動にうまく適応し、将来にわたり作物を安定生産していくためには、気候変動が作物生産に与える影響を正確に予測する必要があります。気候変動の主な要素には気温の上昇とCO2濃度の上昇がありますが、気温上昇が概して作物の生育・収量に負の影響をもたらすのに対し、CO2濃度の上昇は植物の光合成速度を高めて増収をもたらすと考えられています。これまで、世界各地でCO2濃度の上昇の影響を考慮したコメ収量の予測が行われていますが、予測モデル間の比較や統一基準での予測精度の評価は行われていませんでした。
そこで農研機構は2011年に、AgMIP(5)という国際プロジェクトの一部として、世界9か国の18機関と協力し、世界各地で開発された16種類のコメ収量予測モデルについて、予測精度の比較・評価研究を開始しました。
研究の内容・意義
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世界各地で開発された計16のコメの収量予測モデルによる予測値と日本の岩手県雫石町と中国の江蘇省で行われた屋外実験 (FACE実験) およびアメリカのフロリダ州で行われた人工気象室実験の実測値を比較することにより、予測精度を検証しました (図1) 。FACE実験との比較は14モデル、人工気象室実験との比較は15モデルで行いました。
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対照区のCO2濃度条件 (約370ppm) における収量を予測したところ、全モデルの平均値は、FACEおよび人工気象室実験の対照CO2濃度区の実測値とよく一致しました (図2上段) 。しかし、個々のモデルの予測値のばらつきは大きいことがわかりました。
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約50年後を想定した「高CO2濃度条件下 (約570ppm) 」でのコメ収量予測を行い、対照区の濃度条件での収量に対する増加率を算出し、実測値と比較しました。CO2濃度が上昇すると実測値はFACEで約13%、人工気象室で約29%増加したのに対し、全モデルの予測値の平均値は、実測された収量の増加率とよく一致しました (図2下段) 。ただし、個々のモデルの予測値のばらつきは、実験誤差(6)よりも著しく大きくなりました。
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これらの結果から、複数の予測モデルを用いることでCO2濃度の上昇がコメ収量に与える影響を精度良く予測できることがわかりました。
今後の予定・期待
本研究結果は個々のモデルの予測精度の向上に活用するとともに、今後は、モデルの特性を考慮して予測に用いるモデルを絞り込むなど、より具体的な予測技術を開発していく予定です。また、AgMIPでは気温上昇がコメ収量に及ぼす影響のモデル予測の精度評価と改良も行っています。これらの活動を通じて、気候変動の影響を高精度に評価することにより、IPCCによる科学的知見の集積、評価、国・地域レベルの適応計画の策定、ひいては将来のコメの安定生産に貢献します。
用語の解説
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コメ収量予測モデル
作物の収量の成り立ちを数学的に表したモデル。気候変動の影響評価、作柄予測、栽培管理の支援などに用いられます。用途によってモデルの構造も異なりますが、ここでは、日々の気象条件から、日々の作物の生育を予測し、その結果としてコメ収量を予測するモデルを比較対象としました。
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FACE (Free-Air CO2 Enrichment、開放系大気二酸化炭素増加) 実験
大気中のCO2濃度の上昇など、今後予想される気候変動が農作物に及ぼす影響を、屋外の囲いのない条件で調べる実験 (図1) 。屋外条件で高CO2濃度を実現するため、水田の一部に差し渡し12mの正八角形状にチューブを設置し、風向きに応じてCO2を放出します。正八角形の区画内のCO2濃度は、約100m離れた位置に設けた対照区より約200ppm高い濃度 (約50年後を想定) に制御されます。コメを対象にしたFACE実験は、農業環境技術研究所と東北農業試験場 (いずれも現農研機構) が1998年に岩手県雫石町で世界に先駆けて開始しました。2001年には、農研機構の技術支援により、中国江蘇省にて中国科学院が世界で2か所目の水田FACE実験を開始しました。
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人工気象室実験
室内の大気環境 (CO2濃度、温湿度) を制御し、それらに対する植物の生育、収量、蒸発散、光合成などの生理形質を調査する実験。
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IPCC (Intergovernmental Panel on Climate Change)
気候変動に関する政府間パネル。国際的な専門家が、地球規模の気候変動について科学的知見の収集、包括的な評価を行うために、国際連合環境計画 (UNEP) と世界気象機関 (WMO) が1988年に設立した政府間機構です。
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AgMIP (The Agricultural Model Intercomparison and Improvement Project) ; 農業モデルの相互比較と改良のための国際プロジェクト
2010年に立ち上げられた、世界の作物モデルを統一基準で比較し、予測精度の向上に結び付ける国際プロジェクト。イネを対象とした研究チームは2011年に発足し、現在、9か国 (日本、中国、インド、フィリピン、アメリカ、イタリア、フランス、オーストラリア、オランダ) の計18機関の研究者が参加し、研究を継続しています。日本からは、農研機構と茨城大学の研究者が参加しています。
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実験誤差
圃場実験などで同じ条件を繰り返した場合の値のばらつき。この場合は、年次や異なる圃場での実験データ間の値の違いを示すものです。
発表論文
Hasegawa, T. et al. (2017) Causes of variation among rice models in yield response to CO2 examined with Free-Air CO2 Enrichment and growth chamber experiments. Scientific Reports 7:14858 (doi: 10.1038/s41598-017-13582-y).
論題:
開放系大気CO2増加および人工気象室における栽培実験を利用したイネ生育予測モデルの不確実性評価
著者:
長谷川利拡1, Tao Li2, Xinyou Yin3, Yan Zhu4, Kenneth Boote5, Jeffrey Baker6, Simone Bregaglio7, Samuel Buis8, Roberto Confalonieri9, Job Fugice10, 麓多門11, Donald Gaydon12, Soora Naresh Kumar13, Tanguy Lafarge14, Manuel Marcaida III2, 増富 祐司15, 中川博視11, Philippe Oriol14 , Francoise Ruget8, Upendra Singh10, Liang Tang4, Fulu Tao16, 若月ひとみ11, Daniel Wallach9, Yulong Wang17, Lloyd Ted Wilson18, Lianxin Yang17, Yubin Yang18, 吉田ひろえ11, Zhao Zhang19, Jianguo Zhu20
所属:
農研機構東北農業研究センター1 、国際イネ研究所2、ワーゲニンゲン大学3、南京農業大学4、フロリダ大学5、アメリカ農務省6、イタリア農業環境研究センター7、INRA8、ミラノ大学9、国際肥料開発センター10、農研機構農業環境変動研究センター11、CSIRO12、インド農業研究所13、CIRAD14、茨城大学15、中国科学院地理資源学研究所16、揚州大学17、テキサス農工大学18、北京大学19、中国科学院南京土壌研究所20
参考図
図1
本研究の概要。世界各地で開発された16のコメの収量予測モデルによる予測値と、日本と中国で実施された屋外での実験、およびアメリカで実施された室内での実験による実測値を比較し予測精度を検証しました。
図2
屋外 (FACE) および人工気象室での実験で得られた収量の実測値とモデルによる予測値
上段は対照CO2濃度区で得られた収量、下段は高CO2濃度にした際の収量の増加率。実測値は異なる年次や複数の窒素条件で行った実験の平均値とその範囲 (最高値と最低値) 、予測値は異なるモデルによる予測値の平均とその範囲 (最高値と最低値) を示します。実測値はFACE日本:1998年~2000年、FACE中国:2001年~2003年、人工気象室:1987年に測定。