プレスリリース (研究成果) 小麦粉生地の色相が悪化しにくく、 国産小麦の高品質化に役立つ新たな育種素材開発に成功
農研機 構
岩手大 学
ポイント
農研機構は岩手大学と共同で、小麦粉をこねた後の生地が変色しにくい特性と、近年日本各地で発生が拡大しているコムギ縞萎縮病1) への抵抗性を兼ね備えた小麦の育種素材を開発しました。今後の品種改良に利用されることで、小麦の安定生産と高品質な小麦粉の供給に貢献します。
概要
小麦粉をこねた後に時間がたつと、生地が茶色に変色することがあります。これは小麦に含まれるポリフェノールオキシダーゼ(PPO)2) という酵素の働きによるものです。生地の変色はパンや麺の見た目を損ねるため、品種改良では従来から「生地が変色しにくい」小麦が選ばれてきました。PPO 遺伝子は複数個存在し、それぞれに活性(働きの強さ)が異なるタイプが存在します。これらの遺伝子のタイプを簡易に判別する手法がなく、品種改良に時間を要していました。
一方で、小麦には「コムギ縞萎縮病」という病気があり、原因となるウイルスは土壌中の微生物を介して広がり、近年日本各地で発生が拡大しています。「コムギ縞萎縮病」は一度発生すると薬剤での防除が極めて困難なことから、主要な対策は抵抗性品種の利用になります。しかし、これまでの「コムギ縞萎縮病」抵抗性品種は、PPO活性が高い(生地が変色しやすい)タイプの遺伝子を持つという問題がありました。(図1 )。
そこで今回、農研機構は、保有する遺伝資源の中から、今までよりPPO活性がさらに低く生地が変色しにくい遺伝子のタイプを発見しました。さらに、専用のDNAマーカー3) を設計し、PCR法を用いて生地が変色しにくい遺伝子のタイプを正確に選抜できるようにしました。この発見と技術を利用して、「コムギ縞萎縮病」に強く、かつ、今まで以上に「生地が変色しにくい」小麦育種素材(以下、コムギ縞萎縮病抵抗性PPO欠失系統)の開発に成功しました。 本育種素材を交配親として用いて品種改良する場合、専用のDNAマーカーを用いることで、この特性を簡単に選抜することができます。
本成果のコムギ縞萎縮病抵抗性PPO欠失系統は、これまで日本に存在しなかった遺伝子の組み合わせを持つ育種素材です。本成果本系統を利用することで、今後、「生地が変色しにくく」かつ「コムギ縞萎縮病に強い」特性を持つ優良な小麦新品種の開発が進むと同時に、国産小麦の安定生産と利用拡大への貢献が期待されます。
図 PPO活性の評価
(PPO活性が高いほど検査試薬で濃く染まります)
関連情報
予算 : 運営費交付金
特許 : ポリフェノールオキシダーゼ活性が低く、コムギ縞萎縮病抵抗性の6倍体コムギ(特許出願中)
問い合わせ先など
研究推進責任者 :
農研機構 西日本農業研究センター 所長橘 雅明
同 東北農業研究センター 所長若生 忠幸
研究担当 者 :
同 西日本農業研究センター 中山間営農研究領域 主任研究員加藤 啓太
同 東北農業研究センター 畑作園芸研究領域 研究員中丸 観子
(岩手大学大学院連合農学研究科3年)
岩手大学大学院連合農学研究科 教授畠山 勝徳
広報担当 者 :
農研機構 西日本農業研究センター研究推進部研究推進室 広報チーム藤岡 美代子
詳細情報
開発の社会的背景と研究の経緯
小麦粉の変色とPPO活性
小麦粉をこねた後に時間がたつと、生地の色が白色から褐色に変化することが知られています。この現象は、小麦に含まれる「ポリフェノールオキシダーゼ(PPO)」という酵素の働き(以下、PPO活性)によるもので、生地の変色はパンや麺の見た目に影響します。PPO活性が高いほど、生地が濃い茶色に変色してしまうので、PPO活性の低い(「生地が変色しにくい」タイプ)小麦品種の開発が求められています。
コムギ縞萎縮病への対策
小麦には「コムギ縞萎縮病」という深刻な病気があり、この病気を生じさせるウイルスは土壌微生物を媒介して伝播します。近年日本各地で発生が報告されおり、発生ほ場では減収してしまいます。薬剤で「コムギ縞萎縮病」ウイルスの駆除は困難なため、一度発生してしまうと防除が難しいのが特徴です。そのため「コムギ縞萎縮病」に強い(抵抗性を持つ)小麦品種の開発が重要です。「コムギ縞萎縮病」に強い品種は、特定の抵抗性遺伝子領域を調べることで選抜できます。
PPO活性とコムギ縞萎縮病抵抗性の関係
「コムギ縞萎縮病」抵抗性遺伝子領域は、高活性型PPO-D1 遺伝子4) (生地が変色しやすいタイプ)と強く結びついておりセットで遺伝しています。そのため、「コムギ縞萎縮病」に抵抗性を持つ品種は、PPO活性が高く、変色しやすくなってしまいます。これまで、「コムギ縞萎縮病」に対して抵抗性を持ちながらPPO活性が低い(「生地が変色しにくい」タイプ)小麦系統はありましたが、品種化されていません。
研究の内容・意義
PPO活性が低い遺伝子型の解明
農研機構が保有する遺伝資源の中から、PPO活性が著しく低下した欠失型PPO-A1 遺伝子と欠失型PPO-D1 遺伝子を発見し、その遺伝子の構造を解明しました。また、PPO 遺伝子のタイプを簡単に識別できるDNAマーカーを開発し(特許出願中)、PCR法を使うことで、育種の初期段階からPPO活性の低い系統を正確に選ぶことができるようになりました(図1) 。
図1 DNAマーカーを用いたPCR法による各遺伝子型の判別
PPO-A1 遺伝子、PPO-D1 遺伝子および「コムギ縞萎縮病」抵抗性遺伝子領域のタイプを識別できるDNAマーカーを開発しました。
コムギ縞萎縮病抵抗性とPPO欠失の特性を合わせ持つ育種素材の開発
既存の「コムギ縞萎縮病」抵抗性系統と農研機構が保有するPPO欠失系統を交配し、DNAマーカーで選抜を繰り返すことで、従来の「コムギ縞萎縮病」抵抗性遺伝子領域とセットで遺伝していた高活性型PPO-D1 遺伝子を欠失型PPO-D1 遺伝子に置き換えることに成功しました(図2) 。その結果、「コムギ縞萎縮病」に対して抵抗性を持ちながらPPO活性を低く抑えることができました。さらに、別の欠失型PPO-A1 遺伝子も同時に保有する育種素材開発に成功しました。この遺伝子構成を持つ小麦は、日本国内にはこれまで存在しなかったと考えられます。
図2 PPO 遺伝子とコムギ縞萎縮病抵抗性遺伝子領域の構成
PPO-D1 遺伝子と「コムギ縞萎縮病」抵抗性遺伝子領域は非常に近接して存在しています。そのため、人工交配を行い多数の子孫からDNAマーカーを用いて、高活性型PPO-D1 遺伝子が欠失型PPO-D1 遺伝子に置き換わった個体を選抜しました。これにより欠失型PPO-D1 遺伝子と「コムギ縞萎縮病」抵抗性遺伝子領域を両立しました。さらに、欠失型PPO-A1 遺伝子も保有するコムギ縞萎縮病抵抗性PPO欠失系統を開発しました。
コムギ縞萎縮病抵抗性PPO欠失系統の種子を粉砕し、PPO活性を測定したところ、国内品種でPPO活性が低いとされる「ふくほのか」と比較して、約60%活性が低いことを確認しました(図3) 。
図3 「ゆめちから」、「ふくほのか」、およびコムギ縞萎縮病抵抗性PPO欠失系統のPPO活性の比較
今後の予定・期待
この研究成果により、こねた後の生地が「変色しにくく」、かつ「コムギ縞萎縮病」に強い(抵抗性を持つ)小麦の開発が加速することが期待されます。これにより、小麦の安定生産が進み、「生地が変色しにくい」生地を用いたパンや麺などの小麦製品の製造につながると期待されます。
用語の解説
コムギ縞萎縮病
土壌伝染性のウイルス病害で、葉の黄化や伸長抑制による萎縮症状を示します。結果として植物体が小型化し、減収になります。重症の場合は枯死することもあります。
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ポリフェノールオキシダーゼ(PPO)
ポリフェノールを酸化する酵素です。ポリフェノールがPPOによってキノンに酸化され、これが重合することで褐変した物質を作り出します。小麦に限らずほとんどの植物が持っており、植物性食品の品質に大きな影響を及ぼします。
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DNAマーカー
個体間のDNA塩基配列の違いを検出する方法です。
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PPO 遺伝子
小麦にはPPO 遺伝子が6つ存在します。その中でも主に生地の変色のしやすさに影響を及ぼしているのはPPO-A1 遺伝子とPPO-D1 遺伝子の2つです。また、それぞれのPPO 遺伝子の中でもPPO活性の強さが異なるタイプ(高活性型、低活性型、欠失型)に分かれます。
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発表論文等
Akiko Nakamaru, Keita Kato, Sachiko Ikenaga, Toshiki Nakamura, Katsunori Hatakeyama (2025) Development and validation of a new co-dominant DNA marker for selecting the null allele of polyphenol oxidase gene Ppo-D1 in common wheat (Triticum aestivum L.). Breeding Science 75: 102-110. DOI:10.1270/jsbbs.24071
Akiko Nakamaru, Keita Kato, Sachiko Ikenaga, Toshiki Nakamura (2023) A null allele of the polyphenol oxidase gene Ppo-A1 in hexaploid wheat originates from tetraploid wheat. Crop Science 63: 2844-2855. DOI:10.1002/csc2.21075
研究担当者の声
西日本農業研究センター 中山間営農研究領域
主任研究員 加藤 啓太
これまでにない新しい小麦品種を生み出すために、交配と選抜を繰り返してきました。今後は、本研究で得られた素材を活用し、小麦の育種をさらに進め、最終的には皆さんの食卓に新たな小麦を届けたいと考えています。