プレスリリース
(研究成果) 複雑な地形における日最低気温をピンポイントに推定

- 作物の凍霜害対策等に期待 -

情報公開日:2023年5月29日 (月曜日)

ポイント

中山間地や傾斜地など地形が複雑な場合、農地の立地によって1日の最低気温は1kmメッシュごとに提供される気象データ1)の値より10°C近く低くなることがあります。農研機構は、夜間の放射冷却に伴って発生する冷気流2)の動きを考慮し、5mメッシュで日最低気温を推定できる手法を開発しました。今後、本成果は、傾斜地や丘陵地など地形が複雑で冷気流が発生しやすい場所に立地する農地についてピンポイントな気象データの整備と提供に貢献し、作物の凍霜害対策や生育予測などに役立ちます。

概要

気候変動やそれに伴う極端気象の頻発から、気象情報に対するニーズが高まっています。特に、農地における局所的な現象については、より細かい空間解像度の気象情報が望まれるため、農研機構では全国を対象に1kmメッシュごとに提供される気象データ「メッシュ農業気象データ」の整備を進め提供しています。しかし、特に中山間地などのように、狭い地域の中で高低差が大きいなど複雑な地形の農地では、「メッシュ農業気象データ」が推定する最低気温より実際の最低気温が低くなることが知られており、この差が10°C近くになることもあります。これは、夜間の放射冷却によって地面が冷え、地面近くの冷却された空気が地形の谷部分に流れ込み、凹地に冷気が溜まるため周辺との気温差が大きくなることに起因します。このような冷気流の影響を考慮しながら気温情報を提供するためには、数mから数十mの間隔で、気温を正確に測定するための通風装置と日射除けが装着された温度計を設置する必要がありますが、技術的・経済的な面から実現が困難です。

日最低気温の空間分布の比較: 左が「メッシュ農業気象データ」から得られた分布,右が本手法で補正した分布

そこで農研機構は、2つの指標、標高データから得られる累積流量3)と代表地点の2高度における気温の差から得られる放射冷却強度4)とを用い、冷気流の変化を考慮して「メッシュ農業気象データ」の日最低気温を補正する手法を開発しました。本手法では、現地で計測した最低気温と上記2つの指標との関係式を作成することで、使用した標高データと同じ空間解像度で日最低気温を推定できます。今回使用した標高データ(国土地理院提供の数値標高モデル)は5mという非常に細かい解像度を持つため、本手法を利用することで、利用者が自分の圃場の最低気温をピンポイントで知ることができます。また、本手法は、簡易な気温測器(例えば三球温度計5)など)と標高データがあれば利用可能なため実用的です。

今後、この研究成果をもとに、任意の場所および日に最低気温を予測できるシステムを構築することで、よりピンポイントな気象データが提供され、作物の凍霜害対策や生育予測などに利用できると考えられます。

関連情報

予算 : 運営費交付金、日本学術振興会 科学研究費助成事業 研究活動スタート支援「20K22605」

問い合わせ先など
研究推進責任者 :
農研機構農業環境研究部門 所長山本 勝利
研究担当者 :
同 気候変動適応策研究領域 研究員木村 建介
広報担当者 :
同 研究推進室(兼本部広報部)杉山 恵

詳細情報

開発の社会的背景

近年、気候変動やそれに伴う豪雨や猛暑といった極端気象が問題になっています。これらに適応した農業を実現するために、農業分野における気象データの利用が急速に増えています。また、作物の生育や土壌水分の変化、雑草や病虫害などの発生状況に応じた高度な栽培管理を行うためにも、気温や降水量といった気象情報が必要となります。このような場合、全国の気象観測所で測定された気象データを利用するのが一般的ですが、気象観測所は数十kmに一地点の割合でしか設置されていません。日本では、丘陵、山麓、台地などの傾斜面や狭小な谷底低地など複雑な地形で営まれる農業も多く、このような地形では、気象が空間的に細かく変動しています。そのため、数十kmに一か所しかない気象観測所のデータを利用した画一的な管理では局所の正確なデータが得られず、凍霜害などの気象災害のリスクが大きくなる可能性があります。このような農地では、実際の圃場の大きさに合わせて数mから数十mごとに気象データを得ることが理想的であり、それを可能にする手法およびシステムの構築が求められています。

研究の経緯

農研機構はこれまでに、「メッシュ農業気象データ」を開発し、約1kmのスケールで気象データを提供することにより、作物の栽培管理支援や生育予測などに役立ててきました。しかしながら、1kmスケールの気象データでも、実際の圃場の気象データと異なる場合があります。特に、中山間地の農地(茶園や果樹園など)では、1日の最低気温が「メッシュ農業気象データ」が提供する値より低いという報告が多く寄せられていました。これは、夜間の放射冷却に伴う局所的な冷気流により、冷気が流れ込む谷部分と周辺とで気温差が生じるからです。本研究ではこの冷気流の動きを考慮し、1kmよりも細かい空間解像度で日最低気温を推定できる手法の開発を目指しました。

研究の内容・意義

  • 本研究では、「どこ」が冷えやすいかを表す指標として標高データから得た累積流量を使用しました。これは、標高データから計算される地形の勾配に基づき冷気の流れる方向を累積したもので、冷気が溜まりやすい地点ほど値が大きくなります(図1)。これにより、使用する標高データと同じ空間解像度(本研究では5mの解像度の標高データを使用)で冷気流の動きを推定することが可能になりました。
  • 一方で、「いつ」冷気流が起こるかの指標として、最低気温を推定したい範囲内の代表地点(図2中のMS)において測定した2高度の気温から計算される放射冷却強度を使用しました。本研究では高さ2.0mと9.0mの気温を測定しましたが、高さは任意に設定が可能です。累積流量と放射冷却強度の2つの指標と現地で観測した最低気温との関係を数式化することで、「メッシュ農業気象データ」の任意の日の最低気温を5mの空間解像度で補正します。
  • 本手法を実際の複雑地形地(埼玉県入間市の丘陵地:図2)で検証したところ、既存の「メッシュ農業気象データ」では再現することができなかった日最低気温(最大で7°Cの誤差)を、累積流量と放射冷却強度を用いることで精度よく再現できることがわかりました(図34)。
  • 本手法は、風速や放射の測定といった複雑な気象観測を必要とせず、気温測器と標高データがあれば利用可能です。そのため、本手法は、その他の様々な農地においても比較的容易に検証と適用が可能であり、実用的です。

今後の予定・期待

本手法により、5mという非常に細かい空間解像度で最低気温を推定することが可能となりました。今後は、さらなる現地検証をおこなった後、「メッシュ農業気象データ」と本手法を組み合わせ、任意の場所と任意の日において最低気温のデータを提供できるシステムの構築を図ります。このようなシステムは、生産者や公設の農業試験場が農作業の適否の判断や作業スケジュールの立案をする際に役立つだけでなく、気象会社が気温予報を出す際や企業が環境アセスメントを実施する際に、より詳細な気温データが得られるなど、農業以外の分野でも活用されることを期待しています。

用語の解説

全国1kmメッシュの気象データ「メッシュ農業気象データ」
気象情報が農業現場で有効に活用されることを目指して、農研機構が開発・運用する気象データサービスです。気象庁のアメダスなどにより全国で観測される日別気象データを、約1km四方(基準地域メッシュ)を単位にオンデマンドで提供します。提供する気象要素は14種類で、提供可能な期間は1980年(一部2008年)1月1日から現在までのデータだけでなく、1年後の12月31日までの未来のデータもシームレスに得られるところが大きな特徴です。
https://amu.rd.naro.go.jp/[ポイントへ戻る]
冷気流
夜間の放射冷却によって地面が冷え、地面近くの冷やされた空気が流れていく現象です。冷却した空気は密度が大きく重いため下方に流れ、冷気は地形の谷部分に溜まりやすくなります。そのため、中山間地などの複雑地形における谷部分は平地や尾根部分と比較して気温が低くなりやすい傾向があります。[ポイントへ戻る]
累積流量
地形上で流体の集まりやすさ(溜まりやすさ)を表す指標です。地形の勾配に基づき流体の流れる方向を累積したもので、溜まりやすい地点ほど値が大きくなります。冷えた空気は水と同様に地形の勾配に沿って下方向に流れることを利用して、冷気流の流れを表す指標としても使用されます。[概要へ戻る]
放射冷却強度
ある地点の2高度における温位(熱が出入りしない状態で、ある空気を標準気圧1000hPaに変化させたときの温度)の勾配で計算される、天気により変化する放射冷却の強さを表す指標です。放射冷却の強い夜は、地表面が急激に冷やされるため、地表面付近の温位が上方の温位よりも低くなります。放射冷却が強ければ強いほど地表面付近と上方との温位差が大きくなり、本指標の値も大きくなります。[概要へ戻る]
三球温度計
大きさの異なる3つの球の温度から、気温を計測できる新しい原理の温度計です。従来の温度計と異なり、日射除けや通風装置がなくても高精度な気温計測が可能なため、商用電源の確保が難しい農地などでの使用に適しています。
https://www.naro.go.jp/publicity_report/press/laboratory/niaes/137113.html[概要へ戻る]

発表論文

Kimura Kensuke, Maruyama Atsushi, Sasaki Kaori, Kudo Ken, Tanaka Eri, Fushimi Erina, Nakagawa Hiroshi, 2023, Fine-scale mapping of daily minimum temperature in a cropland with complex terrains through the combination of a cold flow accumulation model with inversion strength. Agricultural and Forest Meteorology, 329, https://doi.org/10.1016/j.agrformet.2022.109247

参考図

図1 累積流量の計算過程の概念図
累積流量は次の過程で計算されます。1)標高データの勾配が一番大きい方向に冷気が流れると仮定し、流れの方向を決定。2)各地点に流れ込んでくる冷気(矢印)を累積していき、その数を累積流量とします。累積流量が大きい地点ほど放射冷却によって冷えた空気が集まりやすく最低気温が低くなる傾向があります。
図2 本手法を検証した複雑地形(埼玉県入間市の丘陵地)の標高図
白丸は最低気温の検証地点とその番号(計15測定点)を表しています。MS(Meteorological Station)は放射冷却の強さを測定した代表地点を表しています。
図3 冷気流の影響を受けやすい地形の谷部分(図2中の地点1、5、6、7、10、13、14)における日最低気温の推定精度の比較
「メッシュ農業気象データ」から得られた日最低気温は、実測値を過大評価しており、冷気流による最低気温の低下を表現できていません。一方で、本手法を用いることで、推定誤差の平均値を0°C付近に抑えることができており、冷気流の影響をうまく評価できると考えられます。箱ヒゲ図の箱の上下は分布の両端から25%の分布範囲、中央線は中央値を表します(ヒゲの上下は5%の分布範囲、〇は外れ値)。
図4 検証地点(埼玉県入間市の丘陵地)における日最低気温の空間分布の比較
「メッシュ農業気象データ」(空間解像度1km)から得られた空間分布は、地形の細かな変化に応じた最低気温の変化を捉えることはできません。しかし、本手法(空間解像度5m)を用いることで、地形の細かな起伏に影響される冷気流の流れを考慮し、より現実的な空間分布を作成することが可能となりました。