プレスリリース (研究成果) 世界各地から収集したイネ遺伝資源「NARO Open Rice Collection (NRC)」の整備とゲノム情報の公開
- 多様な栽培環境に対応した品種の育成への活用 -
ポイント
農研機構では、同遺伝資源研究センターが農業生物資源ジーンバンク事業で保有する約2万4千系統のイネの中から、さまざまな特徴を代表して持つ系統として623系統を選抜し、これらの高精度ゲノム情報の取得と解析を行いました。選ばれた遺伝資源1) のゲノム情報を活用することで、ストレス耐性などに関わる未利用有用遺伝子の情報取得が容易になり、激甚化する環境変動に対応した品種の育成に有用な系統を迅速に選ぶことが可能になります。
概要
地球温暖化に伴い、気候の変動がますます激しくなっています。従来の品種をもとにした育種だけでは、こうした気候変動に対応できる新たな品種の開発が難しくなってきました。そこで、これまで育種にあまり活用されてこなかった多様な遺伝資源の中から、有用な特性を持つものを見つけ出し、活用することが重要になっています。
しかし、遺伝資源の数は非常に多いため、目的に合った系統や遺伝的特徴を効率よく選び出すことが大きな課題となっています。この課題を解決するために、本研究では、約2万4千系統のイネ遺伝資源の中から、遺伝的な多様性を保ちつつ厳選し、623系統からなる「NARO Open Rice Collection(NRC)」という集団を構築しました。
さらに、この集団についてゲノム解析を行い、集団内の多型情報を抽出することで、有用な遺伝子を迅速に特定するための基盤となる情報を整備しました。NRCの系統の中から優れた形質の系統を選び、この基盤を用いて環境ストレス耐性に関わる遺伝子を見つけることで、将来の地球環境に適した品種の育成に活用できる系統の迅速な選択に貢献します。
関連情報
予算 : 内閣府ムーンショット型研究開発制度「サイバーフィジカルシステムを利用した作物強靭化による食料リスクゼロの実現」JPJ009237
問い合わせ先など
研究推進責任者 :
農研機構 作物研究部門 所長石本 政男
同 基盤技術研究本部 遺伝資源研究センター センター長栁澤 貴司
同 基盤技術研究本部 高度分析研究センター センター長山崎 俊正
研究担当 者 :
同 作物研究部門 作物デザイン研究領域 主任研究員田中 伸裕
同 作物研究部門 作物デザイン研究領域 上級研究員マシュー シェントン
同 基盤技術研究本部 高度分析研究センター 上級研究員川原 善浩
同 基盤技術研究本部 遺伝資源研究センター ジーンバンク事業技術室長江花 薫子
広報担当 者 :
同 作物研究部門 研究推進室 渉外チーム長 若生 俊行
詳細情報
開発の社会的背景
急激な気候変動は、植物の生育にとって大きなストレスとなります。環境ストレスに強い品種の育成には、既存の品種だけでは不十分であり、これまで利用されてこなかった環境ストレスに強い遺伝資源を見つけ出し、その特性を品種の育成に活用することが望まれています。一方で、遺伝資源は系統数が膨大であるため、有用な遺伝子を効率的に探索する方法が求められていました。
研究の経緯
国内で年間700万トン以上が生産されるイネは、日本人の主食として重要な作物であり、良質な米の安定生産を目指した品種の育成が行われてきました。しかし、近年の急激な気候変動に対応するためには、従来の日本の品種が持つ特性だけでは新たな品種の育成に十分対応できず、海外のイネ品種が持つ強い耐乾性や高温ストレス耐性などの特性を積極的に取り入れることが求められています。
農研機構遺伝資源研究センターが運営する農業生物資源ジーンバンク事業では、イネ遺伝資源を世界各地から収集・保存しています。これらのイネを新品種育成に活用するには、遺伝資源が持つ有用な特性を評価して、それに関わる遺伝子を効率的に検出する仕組みが必要です。私たちはこれまでに、遺伝的な多様性を維持したまま集団サイズをコンパクトにした「コアコレクション」の選抜とゲノム解析を行ってきました。例えば69系統から成る世界のイネコアコレクション (WRC)、50系統から成る日本のイネコアコレクション (JRC)について、高精度なゲノム情報を用いた解析により、農業形質に大きな影響を与える遺伝子を明らかにしてきました (Tanaka et al., 2020a Plant and Cell Physiology , Tanaka et al., 2020b Plant and Cell Physiology )。
しかし、農業生産に関わる作物の性質の多くは、効果の小さな多数の遺伝子によって制御されているため、そうした遺伝子の効果を明らかにするには、従来のコアコレクションでは系統数が少なすぎました。そこで、既存のイネコアコレクションの系統数を拡大し、623系統からなる「NARO Open Rice Collection (NRC)」を整備しました。
研究の内容・意義
既存のコアコレクションWRCとJRCを基に系統数を623に拡大したNRCを作り、これらの高精度ゲノム情報を取得しました。この623系統は、栽培イネの3つのサブグループ(ジャポニカ、インディカ、アウス2) )からバランス良く選ばれており、世界のイネの遺伝的多様性を網羅していると考えられます(図1 )。
図1. NARO Open Rice Collection (NRC)の概要
取得したゲノム配列情報を基にNRCの623系統の各系統のゲノム配列情報を表示した無根分子系統樹です。距離が近い系統ほど、類似したゲノムを保持していることを示しています。NRCの系統はジャポニカ品種(青)、インディカ品種(緑)、アウス品種(赤)の3つの亜種からバランスよく選定されていることが分かります。また黒点はWRC69系統を示しており、NRCが従来のコアコレクションからバランス良く拡大されていることが分かります。
NRCの各系統の出穂(しゅっすい)期、種子サイズを調査し、今回取得した各系統のゲノム配列情報を利用してゲノムワイド関連解析 (GWAS)3) を行うことで、これらの形質を制御する遺伝子の検出を試みました。出穂期の解析では、OsSOC1 、RFT1 、Hd1 、Hd2 等の既知の出穂関連遺伝子によると思われるピークも検出できました (図2 )。種子サイズの解析では、既知の種子サイズ制御遺伝子GS3 を検出できました(図3 )。また、今回の研究においてもGS3 遺伝子の特定の箇所がGの系統と比較してT系統では種子長が長いことが示されました。これらの成果は、NRCが出穂期、種子サイズなどを制御する農業上有用な遺伝子を同定する材料として優れていることを示しています。
図2. 出穂関連遺伝子のゲノムワイド関連解析 (GWAS)結果
NRCの623系統のゲノム配列情報と出穂期の関係をゲノムワイド関連解析 (GWAS)という手法を用いて解析した結果です。横軸は、1番から12番まであるイネの各染色体のゲノム配列上の位置を示しており、縦軸は、ゲノム配列上のその位置にある遺伝的多型と出穂期との関連を示しています。ピークが高いほど、その位置にある遺伝的多型が、出穂期の違いに関連している確率が高いことを意味します。白矢印はこれまでに出穂期と関連のあることが明らかにされている遺伝子のゲノム配列上の位置を示しており、白矢印が示す位置のピークは、これら既知の出穂期に関わる遺伝子の多型に由来すると考えられます。
図3. 種子長関連遺伝子のゲノムワイド関連解析 (GWAS)結果
〈上〉NRCの623系統のゲノム配列情報と種子長の関係を解析した結果です。既報のとおり、種子の長さに関わるGS3 遺伝子上のGからTへの塩基置換が種子長に大きな影響を及ぼしていることが示されました。
〈下〉NRCのジャポニカ品種、インディカ品種、アウス品種それぞれの種子長を調べた結果です。
アウス品種にはGからTへの塩基置換が存在せず、ジャポニカ品種とインディカ品種ではGS3 遺伝子の特定の箇所がGの系統と比較してT系統では種子長が長いことが示されました。
※G型 : 上記塩基置換の塩基がGであるGS3 遺伝子を持つ品種
T型 : 上記塩基置換の塩基がTであるGS3 遺伝子を持つ品種
NRCのゲノム情報をより簡便に利用できるよう、今回取得したNRC系統のゲノム情報を、多数の品種・系統間のゲノム配列の違い(多型)を並べて閲覧できるウェブアプリ「TASUKE+4) 」に提供し、NRC系統間の配列の違いを可視化しました(図4 )。NRCの各系統のゲノム配列情報は全て公開されているため、品種改良に関わる方々が自由にこの情報を利用できます(https://agrigenome.dna.affrc.go.jp/tasuke/NARO_RiceCollection/ )。
図4. NRC系統間のGS3 遺伝子のゲノム配列の違いを TASUKE+ で可視化した図
例として一部のインディカ系統間におけるGS3 遺伝子の配列の違いを示しています。一番上の横に伸びる黒線、および濃紺の横長の細い長方形はGS3 遺伝子の構造を示しており、濃紺の長方形はタンパク質へ翻訳されるゲノム配列の領域、黒線と緑色の長方形は翻訳されない領域を示しています。図の下の縦線は遺伝的多型を示します (Iは塩基の挿入)。水色は、タンパク質をコードしていない領域で遺伝子の機能に影響が小さいと予測されるもの、橙色は、アミノ酸が変化するため影響が中程度と予測されるもの、赤色は、タンパク質の合成が途中で止まるため影響が大きいと予測されるものです。赤色の縦線は、図3 で記述した種子の長さを長くする効果を持つ塩基GからTへの変化(多型)を示しています。
今後の予定・期待
本研究では、623系統からなるNRCを選抜し、ゲノム解析を行ったことによって、これまで活用されてこなかったイネの遺伝資源を、新たな品種の育成に活かす道が拓けました。今後はNRCの各系統についてストレス耐性調査を進めることで、これまで発見されていなかったストレス耐性遺伝子が見つかり、より大きな環境変動ストレスに耐えられるイネ品種開発への活用が期待されます。
用語の解説
発表論文
Genome wide association study of rice agronomical traits and seed ionome with the NARO Open Rice Collection (NRC). (2025) Nobuhiro Tanaka, Yoshihiro Kawahara, Kaworu Ebana and Matthew Shenton. The Plant Journal DOI:10.1111/tpj.70152
研究担当者の声
「栽培中の遺伝資源と」
作物研究部門 作物デザイン研究領域 主任研究員 田中 伸裕
イネの形態形成や栄養吸収に関わる研究を通して、研究材料の重要性を認識しました。本研究によって研究材料としての遺伝資源の利活用が進むことを期待しています。