開発の社会的背景
アブラナ科野菜の黒斑細菌病は、世界各地のダイコン、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、ハクサイ、カブ等に発生し、生産上の大きな問題となっています。日本においては、ダイコンの「黒芯症5) 」の原因として特に問題になっています(図1 )。本病は、種子に付着した病原細菌により伝染するため、防除対策として健全な種子の確保が最も重要です。わが国の野菜類の種子の輸出額は83億1千万円(2020年農林水産物輸出入概況)であり、世界でも上位の輸出国となっています。一方で、種子を輸出する際に輸出相手国から種子に関してアブラナ科野菜の黒斑細菌病の無病証明書が求められる場面があります。種子の病原細菌の存在を確認する手法では、生菌を分離してその病原性を確認することが重要です。これまで黒斑細菌病菌の複数の種・系統を、種子由来の他の細菌と識別して分離するのに適した選択培地が無く、正確な分離ができませんでした。
研究の経緯
種子の病原細菌による汚染を調べるためには、病原性を有する生菌が種子から分離されるかどうかを調べる必要があります。このため、標的となる病原細菌が選択的に増殖する「選択培地」が重要な役割を持ちます。農研機構では既存の選択培地および改良培地を用いた検査手法を開発し、国内の種子検査を行う機関向けに「ダイコン種子の黒斑細菌病菌検査 標準作業手順書(SOP)」を作成・公開しました。しかし、黒斑細菌病には2種類の病原細菌が存在し、更には同種の病原細菌内でも系統が分化していることから、同じ選択培地を用いても種や系統によって生育状態が異なり、選択培地上での本病菌と種子由来のその他の細菌を識別することが難しい場合が散見されました。そこで、黒斑細菌病菌の系統が異なっても他の種子由来の細菌識別がしやすい培地を開発し、検出手法に組み込むことにしました。
研究の内容・意義
黒斑細菌病菌はスクロース(ショ糖)を利用して酸を産生し、ペプトン(タンパク質の加水分解物)を分解して培地をアルカリ性にする性質があります。そこでスクロースとペプトンの組み合わせを最適化し、スクロースの利用によって白く光沢のあるコロニー6) を形成する選択培地(SPbc培地)と、pHの変化をみられる試薬を加えた選択培地(SPamt培地)の2種類を開発しました(図2 )。この2つの選択培地は、加える抗生物質の種類を変えることで種子に付着する細菌に対する選択性を変え、黒斑細菌病菌以外の細菌が多い種子でもこの2つの培地を併用することでいずれかの培地で黒斑細菌病菌が見分けやすいようにしました。完成した選択培地は既存の選択培地よりもコロニーの形状や色彩による黒斑細菌病菌の識別が容易で、菌の種や系統による生育差も少ないものでした。
今後の予定・期待
開発した培地は、「ダイコン種子の黒斑細菌病菌検査標準作業手順書」に組み入れ、より検査精度の高い手法として公開予定です。また、本方法はダイコンだけでなく他のアブラナ科野菜の種子でも利用可能な方法です。アブラナ科野菜の種子は国際的な流通において重要な品目であるにもかかわらず、選択培地の問題もあり、国際種子検査協会7) が策定する種子検査に関する国際標準法には黒斑細菌病菌の検査方法が定められていません。そこで今後は本法をアブラナ科野菜の種子検査の国際標準法となるように働きかけを行っていく予定です。
用語の解説
アブラナ科黒斑細菌病
葉に斑点症状を引き起こすことが特徴ですが、ダイコンでは根茎内部に黒変症状を引き起こす「黒芯症」の原因となり、問題となっています。2種類の病原細菌(Pseudomonas syringae pv. maculicola、Pseudomonas cannabina pv. alisalensis )がおり、さらにそれぞれ3つと2つの系統に分けられます。海外ではBacterial leaf spotとBacterial leaf blightに分けられていますが、2002年以前は両者ともBacterial leaf spotとされていたことから、日本では現在でもどちらも黒斑細菌病とされています。[ポイントへ戻る]
選択培地
環境中に存在する多種多様な微生物の中からある特定の細菌を分離するために、それ以外の微生物の生育を抑制し、分離したい細菌は生育して特徴的な色や形のコロニーを作るように工夫を凝らした培地です。[ポイントへ戻る]
病原性
細菌や糸状菌、ウイルス等が病気を引き起こす能力。植物に対する病原性を確認する場合、調べたい菌等を植物に刺したり吹きかけたりすることで接種し、その後に病気が引き起こされるかを観察することで病原性の有無を判定します。[概要へ戻る]
標準作業手順書(SOP: Standard Operating Procedures)
技術の必要性、導入条件、具体的な導入手順、導入例、効果等を記載した手順書。農研機構は重要な技術についてSOPを作成し、社会実装(普及)を進める指針としています。[概要へ戻る]
黒芯症
ダイコンの根茎内部が黒変するもので、外観からは症状が確認できず、出荷した農作物から発見されて消費者からのクレームが起こりやすいため、生産者やその団体は本病の発生を警戒しています。本症状の原因は黒斑細菌病以外にも斑点細菌病や、温度障害によっても起こることが知られています。[開発の社会的背景へ戻る]
コロニー
細菌を含む試料を培地に塗布して培養すると、一個の生きた細菌の細胞が分裂し、同じ遺伝子を持つ細菌細胞の塊を形成します。これをコロニーと呼びます。細菌は微小なためその一個ずつは見ることができませんが、コロニーを生じさせることでその存在を確認することができます。[研究の内容・意義へ戻る]
国際種子検査協会
国際種子検査協会(ISTA: International Seed Testing Association)は、種子検査に係る国際標準法を開発及び公開することを目的として、1924年に設立された非営利団体です。世界80か国以上、200以上の検査機関からなり、種子のサンプリング及び検査に関する国際的に合意されたルールの作成、検査機関の認証、研究の促進、国際種子検査証明書と技能評価試験の提供、ならびに種子科学と技術に関する知見の普及を行っています。[今後の予定・期待へ戻る]
発表論文
Inoue Y. (2022) Three semi-selective media for Pseudomonas syringae pv. maculicola and P. cannabina pv. alisalensis . Applied Microbiology and Biotechnology, https://doi.org/10.1007/s00253-022-12092-w .
参考文献
ダイコン種子の黒斑細菌病菌検査標準作業手順書(2022)
https://www.naro.go.jp/publicity_report/publication/laboratory/naro/sop/145692.html
参考図
図1 ハクサイ栽培圃場で発生した黒斑細菌病(A, B)およびダイコンの黒芯症(C)
黒斑細菌病に感染したハクサイの葉では小さな黒色の斑点ができ、それが融合して広がり、やがて枯死します(A)。生育初期に激しく発病すると株自体が枯死してしまい、栽培圃場では欠株が生じます(B)。黒斑細菌病に感染したダイコンでは、葉だけではなく、根茎の中心部に感染して黒変する黒芯症を生じます。黒芯症は表面から病徴が見えず、発症に気が付かない場合があります(C)。
図2 選択培地を用いた黒斑細菌病菌の選別
黒斑細菌病菌を感染させた種子からの抽出液をSPamt培地(A)およびSPbc培地(B)上に塗布したもので、黒斑細菌病菌以外のコロニーも形成されますがその数は少なく、黒斑細菌病菌のコロニーが多数形成されています。SPamt培地では、黒斑細菌病菌以外のコロニーの周りは濃い青色になりますが、黒斑細菌病菌の周辺は青みが薄くなるのが特徴です。SPbc培地では黒斑細菌病菌は白くてぷっくりしたコロニーを形成します。
表1 各選択培地での黒斑細菌病菌分離
黒斑細菌病菌保菌種子を含む5つの種子サンプル(種子A、B、C、D、E、それぞれ10,000粒)から種子抽出液を作製し、各選択培地に種子抽出液を塗布して3-7日間培養した後、生育したコロニーを分離し、黒斑細菌病菌か否かの確認を行いました。種子サンプルによって異なりますが、SPbc培地やSPamt培地は概ね既存の選択培地であるKBC培地や改良培地であるKBTA培地よりも間違いが少なく、黒斑細菌病菌を分離できることが分かりました。
図3 ダイコン種子の黒斑細菌病菌検査標準手順書(SOP)
農研機構ではこれまでに、KBC培地およびKBTA培地を用いて「ダイコン種子の黒斑細菌病菌検査 標準作業手順書」を作成して公開しましたが、今回開発したSPamt培地、SPbc培地を加えて改訂を行い、より正確で検査効率の良い手法として公開します。