開発の社会的背景
西日本ではパン用小麦品種として「せときらら」や「ミナミノカオリ」が広く栽培されています。「せときらら」は多収である反面、子実のタンパク質含有率が低くなりやすく、パン用途に必要とされるタンパク質含有率を確保するのが難しい品種です。一方、「ミナミノカオリ」は穂発芽耐性が劣り、収穫期の雨による品質の低下が問題になっています。また、西日本では、近年、難防除病害であるコムギ縞萎縮病の発生地域の拡大や温暖化により増えた暖冬年での幼穂の凍霜害発生など、現在作付けされている品種では十分に対応ができないようなリスクが増加しています。
そこで、農研機構では、品質面で「せときらら」よりもタンパク質含有率が高く、製パン適性に優れ、栽培面で穂発芽耐性やコムギ縞萎縮病抵抗性に優れた秋播性のパン用小麦品種育成を目指し、これら両面の特性を備えた新しいパン用品種「せとのほほえみ」を開発しました。
新品種「せとのほほえみ」の特徴
【交配組合せ】
「せとのほほえみ」は、パン用系統の「中系10-28」と、穂発芽耐性に優れた秋播性系統の「10Y1-048(のちの「くまきらり」)」との交配により育成しました。
【主な特徴】
1. 「せときらら」より成熟期が1日遅く、稈長は短く倒伏に強い品種です(写真1、表1)。
2. 春播性の「せときらら」や「ミナミノカオリ」とは異なり、秋播性程度はIVで秋播性の品種です(表1)。
3. 穂発芽耐性は"やや難"で「せときらら」や「ミナミノカオリ」より優れます(表1)。
4. コムギ縞萎縮病のI型、III型の両方に抵抗性を示します(表1)。本病に対して高度な抵抗性を示す遺伝子Ymymが知られており、「せとのほほえみ」はこの遺伝子を持つことが確認されています。
5. 子実のタンパク質含有率が、「せときらら」より約1%高い値を示します(表2)。パン用途には最低11.5%のタンパク質含有率が必要で、実需者からはさらに高い含有率が求められていますが、これらの値を達成しやすい品種です。
6. 「せときらら」や「ミナミノカオリ」に比べ、パン比容積やパンの評価点が勝り、製パン性が優れます(表2)。
【その他の特徴】
1. 「せときらら」と比べて子実の容積重が大きく、千粒重はやや小さく、外観品質は同程度です(表1、写真2)。
2. 収量は「せときらら」対比で1割程度少なくなります。
赤かび病4)抵抗性は、"中"で「せときらら」と同程度の評価です(表1)。
3. 「ミナミノカオリ」より粉のアミロース含有率が低く、「せときらら」と同じ"
やや低アミロース5)"のデンプンを持ちます(表2)。
品種の名前の由来
瀬戸内地域から生まれた品種で、生産者、実需者、消費者などの関係者全体を笑顔にするような品種になることを祈願して命名しました。
今後の予定・期待
中国地方の小麦産地で「せときらら」や「ミナミノカオリ」の置き換えとして導入の検討が進んでいます。製パン性に優れるコムギ縞萎縮病抵抗性の秋播性パン用小麦として広い地域での普及を見込んでいます。
原種苗入手先に関するお問い合わせ(生産者向け)
農研機構西日本農業研究センター メールフォームでのお問い合わせ
https://www.naro.go.jp/laboratory/warc/inquiry/index.html
利用許諾契約に関するお問い合わせ(種苗会社向け)
農研機構HP【品種についてのお問い合わせ】
https://prd.form.naro.go.jp/form/pub/naro01/hinshu
なお、品種の利用については以下もご参照ください。
農研機構HP【品種の利用方法】
https://www.naro.go.jp/collab/breed/breed_exploit/index.html
用語の解説
1) コムギ縞萎縮病
ウイルスによって引き起こされる小麦の土壌病害で、土壌中のPolymyxa graminis(ポリミキサ・グラミニス)菌によって媒介されます。I型~III型の病原型が存在し、関東以西では主にI型が発生しており、III型は九州北部で発生しています。発病すると葉の黄化や株の萎縮が起こり、発病の程度が大きいと減収します。薬剤での防除が極めて困難で、現状では抵抗性品種の栽培が唯一の有効な対策となっています。近年では西日本のこれまで発生があまりみられなかった地域へも拡大しており、問題となっています。[ポイントへ戻る]
2) 秋播性
小麦の幼植物が一定期間の低温にさらされなければ幼穂が形成されない特性を秋播性といいます。幼穂の形成に低温を必要としない春播性の品種は、暖冬年には生育が進んで早い時期に幼穂が形成されてしまいます。寒さに弱い幼穂がその後に低温に遭遇すると枯死(幼穂が枯れてしまう)や不稔(粒が実らない)などの凍霜害の被害にあう危険がありますが、秋播性の品種ではそのようなリスクを下げることができます。秋播性の程度はI~VIIに分類されており、I~IIは春播型 、III以上は秋播型で、ローマ数字が大きいほど秋播性が強くなります。[ポイントへ戻る]
3) 穂発芽
成熟期前後の穂が雨にあたることによって収穫前の穂の中で小麦粒(子実)が発芽してしまう現象です。穂発芽すると、子実中の貯蔵物質を分解する酵素の活性が高まり、α-アミラーゼなどのデンプン分解酵素によって、デンプンが分解されて品質が低下します。穂発芽の程度が著しい場合、加工上大きな問題となるため、安価で取引されたり、流通できなくなることがあります。[概要へ戻る]
4) 赤かび病
小麦の開花期に赤かび病菌が穂に感染することによって起こる病害で、収量や品質の低下をもたらします。また、人や家畜に有害なマイコトキシン(かび毒)を産生し、かび毒の濃度が基準値(1.0mg/kg)を超えると出荷できなくなるため、防除を徹底する必要があります。[その他の特徴へ戻る]
5) やや低アミロース
小麦のデンプンはグルコース(ブドウ糖)が直鎖状に結合しているアミロースと枝分かれして結合しているアミロペクチンの2つの成分でできており、アミロースの比率によって粘弾性などのデンプンの性質が変わります。デンプン中のアミロースの含有率は3つのアミロース合成遺伝子(Wx遺伝子)によって決まります。3つのWx遺伝子のうち1つの遺伝子の機能が欠失したものをやや低アミロースタイプの小麦といい、通常タイプのものよりもデンプン中のアミロースの割合がやや低く、パンに加工した時にもちもち感が強くなります。[その他の特徴へ戻る]