開発の社会的背景
現代社会に不可欠な素材であるプラスチックの特徴を理解して、用途や解決したい環境問題に応じて適切に使用するための取り組みが、国内外で開始されています。耐久性のあるプラスチックを必要量だけ用いて、使用後はリサイクルによって再利用する方法と、生分解性プラスチックを用いて、使用後に水と二酸化炭素まで分解させて、土に還す方法が示されています。生分解性プラスチックは、分別回収や再生利用が難しい農業や土木など屋外での用途や、食品包装や衛生用品などへの利用が期待されています。農業用マルチフィルムなど一定の耐久性が必要な製品には、使用中に意図しない分解を抑えるために、分解が比較的遅いPBATを混合した製品が多く作られています。また、より耐久性が高いPLAが追加されている製品も販売されています。このような製品は利便性が高い反面、使用後の分解は遅くなります。使用者が望むタイミングで分解を加速できると、生分解性プラスチックをスムーズに土に還せるようになります。
研究の経緯
農研機構では、これまでに植物の表面に常在するシュードザイマ属の酵母菌が、生分解性プラスチックを分解することを見出しました。イネの籾や葉に常在しているシュードザイマ・アンタークティカから、エステル分解酵素であるPaEを発見しています。
生分解性プラスチックの主流は、有機酸とアルコールがエステル結合したポリエステルです。PaEは、開発当初の生分解性マルチフィルムの素材であるPBSA、PBSなど、また、非結晶のPLAを分解します(参考資料1、2 )。PaEは生分解性プラスチックであるPBSA、PBSなどの高分子鎖をランダムに切断することが確認されています(参考資料3 )。今回、PaEは耐久性や柔軟性、引張強度が高い生分解性プラスチックであるPBATを分解できるのか、生産現場において市販の生分解性マルチフィルムの分解を加速できるのか実証を試みました。
研究の内容・意義
実証の前に行った室内実験で、生分解性プラスチック製のフィルムをPaE溶液に浸漬すると、フィルムを構成する高分子鎖間の結合がランダムに切られて低分子化されることを産総研・機能化学研究部門との共同研究で見出しました。フィルムの分解速度は、PBSA>PBS>PBATの順でした。また、これらの生分解性プラスチック素材を混合した市販の生分解性マルチフィルムをPaE溶液に浸漬した場合も、分解されて薄くなっていくことを確認しました。なお、PaEは結晶化したPLAを分解しないため、PLAフィルムの分解速度は、PBSAの1/1000程度でした。
生分解性プラスチックの生分解性は、室内で評価する方法が作られており、土壌に比べて高温な堆肥化条件(58° C)で評価されています。一方で、実際に市販の製品を使い、かつ分解を促すべき屋外の現場でも、分解を適切に評価する方法の開発が必要とされています。畑での生分解性マルチフィルムの分解は、今まで主に目視による亀裂の発生で判断されていましたが、分解程度を客観的に比べることができませんでした。農研機構では、マルチフィルムの強度や、画像解析から穴や亀裂の面積や長さを数値化して、フィルムの変化を客観的に評価する方法を作り、今回の研究で使用しました。
室内実験の結果から、畑の表面を被覆した生分解性マルチフィルムの分解を加速するのに、PaEは有効であることがわかり、実証を試みました。屋外の畑地に展張した市販のマルチフィルム(黒)の表面に、市販の農薬散布機を用いてPaEを散布処理しました(図1 )。その際、酵素処理によってフィルムが分解されると、有機酸が生じ酸性になります。PaEの働きに適したpHを維持する中和剤として、畑でも使える炭酸カルシウム粉末(白色の鉱物)をPaE溶液に混ぜて処理しました。その結果、翌日にはマルチフィルムは薄くなり、目視およびミクロレベルでも亀裂が生じて(図2 、3 )、強度が下がりました(図4 )。
生分解性マルチフィルムは、使用後速やかに畑の土の中にしっかりと鋤き込むことが推奨されています。PaE散布処理を行ったマルチフィルムを、翌日、耕うん機で鋤き込んだ後に目視で確認できる断片を回収したところ、PaE散布処理をしなかったフィルムに比べて大型の断片が減り、断片のサイズが小さくなり、総重量も減りました(図4 、5 )。このことからマルチフィルムが、PaE散布処理によって脆くなり、耕うんの過程で壊されていること、その結果鋤き込みしやすくなることがわかりました。
PaE散布処理の効果は、初夏の31° C程度や晩秋の14° C程度の様々な温度条件下においても確認でき、素材の混合割合が異なる複数の市販の生分解性マルチフィルムでも確認されました。
今後の期待
酵素を塗布した市販の生分解性マルチフィルム断片は、土の中に埋めると早く消滅することが、室内実験で示されています(参考資料4 )。すでに、シュードザイマ・アンタークティカを改良して、目的のタンパク質を多く生産させる方法を作り、PaEを大量生産することもできるようになっています(参考資料5 )。
農研機構は、県の農業試験場や民間企業、大学との共同研究で、
分解酵素の量産化方法
酵素を散布処理したフィルムを畑に埋めた後の分解の検証
生分解性マルチフィルムと分解酵素を組み合わせた新しい栽培方法の開発
分解酵素と組み合わせて使用する、新たな生分解性農業資材の開発
に取り組んでいます。今後、生分解性プラスチックと分解酵素を組み合わせて使用することで、農業などの野外で用いるプラスチック製品などを速やかに分解し、土や堆肥へ循環させていく、ごみを出さない社会形成への利用が期待されます。
現在、生分解性プラスチックの一部は、植物等の再生可能な原料を用いて作られており、これらは「生分解性のバイオマスプラスチック」と呼ばれています。残りは石油を原料に作られています。生分解性のバイオマスプラスチックを低コストで製造するための研究や技術開発が進められており、これらの技術が確立されることによって、石油などの化石資源への依存を減らすことができるようになります。生分解性のバイオマスプラスチックは、使用後に分解酵素によって滞りなく水と二酸化炭素まで分解され、生じた二酸化炭素を吸収した植物は、再び生分解性プラスチックの原料として供給されます。生分解性のバイオマスプラスチックとPaEなどの分解酵素を組み合わせたシステムを構築することで、廃棄物が滞留しない、新しいプラスチックの循環利用が期待されます(図6 )。
用語の解説
生分解性プラスチック
微生物の働きによって二酸化炭素と水に分解される分子を原料に用いた高分子化合物です。現在使われている生分解性プラスチックは、「エステル結合」で作られたポリエステルです。「エステル結合」は、オリーブ油やラードなどの天然の油脂など、自然界に一般的にある結合様式であるため、自然界から分解菌が見つかります。[概要へ戻る]
マルチフィルム
野菜を栽培する時に畑の表面を被覆して、水や地温、肥料の保持、雑草や病害虫の防除に役立ちます。従来は分解しないプラスチック製品が用いられてきましたが、使用後の回収が重労働であること、回収したフィルムには土が付着しており、再生利用が難しいという課題があります。一方で、生分解性マルチフィルムは、使用後畑に鋤き込み、土の中で分解させる処理ができます。回収する労力と再生処理が不要となるため、使用量が増えており、2020年度の出荷量は、2019年度比106%、2015年度比167%となりました(農業用生分解性資材普及会調べ)。[概要へ戻る]
分解されないプラスチック
熱に対する強さや、衝撃に対する強さ、紫外線や雨、寒暖差などへの耐候性を持続させるために、分解をし難い化学結合様式で作られた高分子化合物です。原料として使われる分子から、名前が付けられます。多数連結させた高分子という意味で、冒頭に「ポリ~」を付けます。たとえば、石油から得られたナフサから、エチレンなどの有機化合物が得られて、それぞれを原料に用いて、ポリエチレンなどの高分子が作られます。[概要へ戻る]
シュードザイマ・アンタークティカ(Pseudozyma antarctica )
世界で初めて日本人によって南極の湖から採集されたため、アンタークティカ(antarctica=南極大陸)と名付けられました。シュードザイマ属の仲間たちは、植物表面の常在菌で、野菜や穀物、果物の表面にも常在しています。シュードザイマ・アンタークティカは、稲などのイネ科植物の表面に常在しています。[概要へ戻る]
生分解性マルチフィルムに使われている生分解性プラスチックの種類
生分解性速度や、フィルムとしての柔軟性や強度、耐久性を維持するために、複数の生分解性プラスチックを混合して生分解性マルチフィルムを成形しています。ポリ乳酸は常温では分解し難いのですが、高温の堆肥中では急速に低分子化するため、生分解性プラスチックに分類されています。[概要へ戻る]
発表論文
Kitamoto H, Koitabashi M, Sameshima-Yamashita Y, Ueda H, Takeuchi A, Watanabe T, Sato S, Saika A, Fukuoka T(2023)Accelerated degradation of plastic products via yeast enzyme treatment. Scientific Reports. 13, 2386 https://doi.org/10.1038/s41598-023-29414-1
参考資料
参考図
図1 市販の生分解性マルチフィルムへのPaE散布処理試験の様子
図2 市販の生分解性マルチフィルム(黒)を、野菜を栽培せずに2か月展張した後に、PaE散布処理を行った区(白い着色が認められる部分、幅0.5m)は、処理翌日に目視で確認できる亀裂が発生しました。黒色の部分は酵素処理をしていません。
図3 散布処理翌日(24時間後)のマルチフィルムの表面。散布処理に使用したPaEの濃度(ユニットUで表示)が高いほどマルチフィルム表面にミクロレベルで亀裂が生じます。ユニット(U)は酵素の力価を示します。ここでは生分解性プラスチックPBSAエマルジョンの660nmにおける吸光度を1下げる酵素の量を1Uとしています。
図4 PaE散布処理をすると翌日(24時間後)にはマルチフィルムの強度が下がり、鋤き込み後に回収された断片の総重量が減りました。箱ヒゲ図の箱の上下は分布の両端から25%の分布範囲を、中央線は中央値を表します。ヒゲの上下は5%の分布範囲を表します。
図5 PaE散布処理をすると翌日(24時間後)にはマルチフィルムは、薄く壊れやすくなっており、鋤き込み直後に目視で確認できる大きな断片が減ります。
図6 バイオマス原料由来の生分解性プラスチックと分解酵素を組み合わせたプラスチックの循環利用