プレスリリース
(研究成果) 牛伝染性リンパ腫ウイルスの"タンパク質を作らないRNA"による干渉作用を発見

- 牛伝染性リンパ腫発症機序解明の糸口として期待 -

情報公開日:2023年9月14日 (木曜日)

ポイント

牛伝染性リンパ腫ウイルス(bovine leukemia virus: BLV)1)は、牛に白血球のがんであるリンパ腫を引き起こす畜産における経済的損失の大きな病原体の一つです。農研機構は、BLVが発現する"タンパク質を作らないRNA"2)(ノンコーディングRNA: ncRNA)が、宿主細胞核内のタンパク質と結合してそのRNA結合能力を変化させることを発見しました。このncRNAは、腫瘍細胞中で発現する数少ないウイルス因子の一つであり、リンパ腫発症の一因となっている可能性があります。本成果は、BLVが発現するncRNAが宿主タンパク質に直接結合してその機能に干渉することを示した世界で初めての報告になります。

概要

近年、"タンパク質を作らないRNA" (ノンコーディングRNA、non-coding RNA: ncRNA)ががんなどの病気の発生の一因となっていることが徐々に明らかになり、病態解明の新たな切り口として注目を集めています。

牛の伝染病"牛伝染性リンパ腫"の原因である牛伝染性リンパ腫ウイルス(bovine leukemia virus: BLV)もまた、ncRNAを発現することがわかっており、BLVが持つncRNAとリンパ腫発症との関連性が疑われています。BLVは、免疫細胞の一つであるB細胞に感染して、感染した牛に生涯持続感染したのち、一部の個体にリンパ腫を引き起こします。リンパ腫を発症した牛が廃棄処分となることで経済的な被害をもたらすことから、現場では有効なワクチンや治療法の開発が切望されています。しかしながら、ウイルスがリンパ腫を発症させる詳細なメカニズムが解明されていないこともあり、いまだ有効な予防・治療法の実現には至っていません。そのため、BLVが持つncRNAの機能解明は、その課題解決に大きく寄与することが期待されます。

農研機構は、BLVが持つ機能不明な遺伝子の一つであるAS1-S遺伝子の詳細な解析を行いました。その結果、AS1-S遺伝子から発現するncRNA (AS1-S RNA) が、宿主細胞の核内でheterogeneous nuclear ribonucleoprotein M (hnRNPM)3)というタンパク質と結合し、hnRNPMと宿主RNAとの結合性を変化させることを発見しました。hnRNPMは、細胞の核内にあるRNAを加工することで、様々な細胞機能を調整する役割を持つタンパク質です。AS1-S RNAは、hnRNPMによる宿主RNAの加工・調節機能を阻害することで、感染した細胞の異常な増殖を引き起こしている可能性があります。本発見は、BLVが発現するncRNAの分子機能の一端を明らかにした世界で初めての報告であり、牛のリンパ腫発症メカニズムの解明とその制御法開発に資する基盤的知見として、ウイルスが病気を引き起こすメカニズムへの理解を深めるための大きな手掛かりになると考えられます。

関連情報

予算 : JSPS科研費(20K15687、23K05583)、伊藤記念財団研究助成(令和2-4年)、国立大学法人山口大学中高温微生物研究センター共同研究公募(2021-03)

問い合わせ先など
研究推進責任者 :
農研機構動物衛生研究部門 所長勝田 賢
研究担当者 :
同 動物感染症研究領域 主任研究員安藤 清彦
広報担当者 :
同 研究推進部 研究推進室長吉岡 都

詳細情報

開発の社会的背景

牛伝染性リンパ腫ウイルス(bovine leukemia virus: BLV)は、牛の免疫細胞の一種であるB細胞に感染してリンパ腫を発症させ、国内で発生件数の多い伝染病"牛伝染性リンパ腫"の原因となります。BLVに感染した牛は生涯にわたり感染状態が持続し、リンパ腫を発症した牛の肉は廃棄処分となるため、畜産業界に経済的な被害をもたらします。BLVの感染拡大に伴い国内の牛のリンパ腫発生件数は増加の一途をたどっており、現場では有効なワクチンや治療法の開発が切望されているものの、いまだ実現には至っていません。

ウイルス感染症に対して有効な予防・治療法を開発するためには、そのウイルスが、宿主でどのように増殖し病気を引き起こすかを理解する必要があります。しかしながら、BLVが持つ遺伝子の中には機能が明らかになっていないものも多く、リンパ腫を発症する詳細なメカニズムも解明されていません。そのため、BLV感染症に対して有効な対策を講じるためには、ウイルスが持つ遺伝子の詳細な機能解析により、ウイルスが病気を引き起こすメカニズムへの理解を深める必要があります。

研究の経緯

近年、"タンパク質を作らないRNA" であるノンコーディングRNA(non-coding RNA: ncRNA)ががんなどの病気の発生の一因となっていることが明らかになりつつあり、注目を集めています。一部のウイルスもこのようなncRNAを発現する遺伝子を持つことが知られており、ウイルスが病気を引き起こす因子の一つであると考えられています。最近の研究により、BLVもまたncRNAを発現する遺伝子を複数有していることが明らかとなり、それらの機能がリンパ腫発症に関与している可能性が示唆されています。

BLVゲノムにあるAS1-S遺伝子は、機能は明らかとなっていないものの、ncRNAを発現することが知られています。また、AS1-S遺伝子はBLV感染により腫瘍化した細胞において発現する数少ないウイルス遺伝子の一つであることから、リンパ腫発症メカニズムとの関連性が疑われています。そのため、AS1-S遺伝子の機能解明は、BLVの病態を理解するための大きな手掛かりになると考えられます。これまで農研機構では、AS1-S遺伝子から発現するncRNA (AS1-S RNA)を標的とした組織切片染色法の開発(https://www.naro.go.jp/project/results/4th_laboratory/niah/2020/niah20_s02.html)や、AS1-S遺伝子に変異を持つウイルスの解析を行う(https://www.naro.go.jp/project/results/5th_laboratory/niah/2021/niah21_s13.html)など、AS1-S遺伝子の機能解明に取り組んできました。

研究の内容・意義

  • BLVのncRNAが結合するタンパク質を発見
    ncRNAの多くは、機能が不明ながらも、一般的にRNA自身が機能性分子としてふるまい、直接タンパク質と結合することで何らかの役割を果たすことが知られています。そのため、AS1-S RNAも細胞の中で何らかの宿主タンパク質と結合していることが予想されました。そこで本研究では、RNAとタンパク質の複合体を解析する技術を活用して、AS1-S RNAと結合するタンパク質のふるいわけ(スクリーニング)を実施しました(図1A)。その結果、AS1-S RNAが細胞の核内に存在するタンパク質heterogeneous nuclear ribonucleoprotein M(hnRNPM)と直接結合することを発見しました(図1B)。
  • hnRNPMと結合するRNAを網羅的に解析
    hnRNPMは、細胞の核内においてRNAと結合し、それらを加工することで様々な細胞機能を調節する役割を持つタンパク質です。そこで、AS1-S RNAが存在することでhnRNPMと結合するRNAの種類が変化するかどうかを明らかにするため、細胞内でhnRNPMと結合しているRNAを次世代シーケンシング4)により網羅的に解析しました。その結果、細胞の核内にAS1-S RNAが存在する場合、hnRNPMと結合する宿主由来RNAの数やバリエーションが増加することが判明しました(図2)。hnRNPMとの結合性が変化したRNAの機能についてデータベース情報を用いて解析した結果、それらの多くは細胞の増殖にかかわる機能を持つことがわかりました。
  • BLVの新たな感染メカニズムの一端が明らかに
    これらの結果より、今回、BLVのAS1-S遺伝子から発現するncRNAが宿主細胞の核内でhnRNPMタンパク質と結合し、細胞増殖にかかわる機能を持つ宿主遺伝子のRNAとhnRNPMの結合性を変化させることが明らかになりました。これは、BLVのAS1-S遺伝子の機能に関する初めての報告であり、ncRNAとタンパク質の複合体により機能を発揮するというBLVの新たな感染メカニズムの一端を明らかにしたものです。

今後の予定・期待

BLVが発現するncRNAが細胞の核内でhnRNPMタンパク質と宿主由来RNAの相互作用に干渉するという今回の発見は、BLVの病態を理解するための大きな手掛かりになると考えられます。特に、腫瘍化したBLV感染細胞においても持続的にRNAを発現するAS1-S遺伝子の機能を明らかにすることは、BLV感染によるリンパ腫発症メカニズムの解明とその制御法開発に資する基盤的知見となると考えられます。このような知見を蓄積することで、将来的により効果的なBLVの制御法の開発へと発展することが期待されます。

用語の解説

牛伝染性リンパ腫ウイルス(bovine leukemia virus: BLV)
レトロウイルスに属するウイルスであり、B細胞に感染して牛に悪性リンパ腫(家畜伝染病予防法における届出伝染病"牛伝染性リンパ腫")を引き起こす。2009-2011年に実施された全国調査において、日本国内の牛の35.2%がBLVに感染していることが報告された。BLVに感染した牛のうちリンパ腫を発症するのはわずか数%程度であること、ウイルス感染からリンパ腫発症までに数年間にわたる潜伏期間を要することなど、その病態や発症に至るメカニズムには不明な点が多い。ヒト免疫不全ウイルスに代表されるヒトのレトロウイルスと同様に、有効なワクチンは未だに実用化されていない。 [ポイントへ戻る]
タンパク質を作らないRNA
一般的に非翻訳性RNA(ノンコーディングRNA)と呼ばれる、タンパク質を作る機能を持たないRNA。広義にはマイクロRNAやリボソームRNA、トランスファーRNAなども含まれる。AS1-S RNAのように200塩基以上の長さを持つものは特に長鎖ノンコーディングRNA(long non-coding RNA: lncRNA)と呼ばれ、タンパク質と物理的に結合することで細胞が機能を発揮するための様々なプロセスに関与することが知られているものの、その大部分については未だに役割が明らかになっていない。 [ポイントへ戻る]
heterogeneous nuclear ribonucleoprotein M (hnRNPM)
ヘテロ核リボ核タンパク質の一つであり、核内に局在するRNA結合タンパク質。主にメッセンジャーRNAの成熟工程に関与して遺伝子発現の調節を行うことが報告されている。ヒトやマウスにおいては、その機能異常が一部のがんなどの病気の原因となることが報告されているが、牛のhnRNPMの機能についてはほとんど明らかとなっていない。 [概要へ戻る]
次世代シーケンシング
膨大な量のDNAあるいはRNAの遺伝子を同時に配列決定・定量可能な手法として、近年様々な研究や検査に使用されているシーケンシング技術。最近ではハイスループットシーケンシングとも呼ばれる。 [研究の内容・意義へ戻る]

発表論文

タイトル:
The bovine leukemia virus-derived long non-coding RNA AS1-S binds to bovine hnRNPM and alters the interaction between hnRNPM and host mRNAs.
著者: Kiyohiko Andoh, Asami Nishimori, Yuichi Matsuura
掲載誌: Microbiology Spectrum, doi.org/10.1128/spectrum.00855-23.

図1本研究で実施したスクリーニング実験の概要と結果
AS1-S RNAおよびコントロールRNAを磁気ビーズと結合させ、牛B細胞の抽出液と混合し、RNAとタンパク質を結合させます。その後、磁石により磁気ビーズを回収することで、RNAと結合したタンパク質を精製することができます(図1A. AS1-S RNAとコントロールRNAの両方に非特異的に結合したタンパク質を灰色の丸、AS1-1 RNAにだけ結合したタンパク質を緑色で示しています)。磁気ビーズと共に回収されたタンパク質を電気泳動で分子量ごとにふるい分けた後に可視化します。コントロールRNAと比較することでAS1-S RNAに特異的に結合したタンパク質(図B 中の赤矢印)を特定し、質量分析という手法を用いて同定しました(B)。
図2本解析で明らかになった現象の模式図
AS1-S RNAが存在しない細胞と存在する細胞それぞれについて、hnRNPMと共に精製されたRNAを次世代シーケンシングにより網羅的に解析した結果、AS1-S RNA(図中の青線)が存在することでhnRNPMと相互作用する宿主RNA(図中の赤線)の数や種類が増加することが判明しました。これらのhnRNPMとの相互作用が変化したRNAを作る遺伝子の多くは、細胞の増殖にかかわる機能を持つものでした。